名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(37)

« Mon Nara » No 267, 2015年1-2月号 掲載 

名句の花束―フランス文学の庭から(37)

三野博司(会長)

Mais tu t’apercevrais que je reste pareil.
だが、わたしは、一向に変わりはしない。(2)
(ロスタン『シラノ・ド・ベルジュラック』1897年)

パリで人と会うときによく使うカフェのひとつが、リュクサンブール公園横にある緑色の建物が気に入っているカフェ・ル・ロスタンです。エドモン・ロスタン広場の6番地にあり、カフェの名前はおそらく広場にちなんだものと思われますが、その広場は、人名を持つ他のフランスの通りや広場と同じく劇作家とのゆかりはなさそうです。ロスタンは1868年マルセイユに生まれ、1918年パリで亡くなりました。29歳のときの『シラノ・ド・ベルジュラック』が大当たりして、この作品はその後も世界中で上演され続けています。
達人にして希代の詩人であるシラノには、大きすぎる鼻という弱点がありました。従妹のロクサーヌにかなわぬ恋情を抱きますが、彼女の心は美男のクリスチャンへと向けられます。ところが、彼にはシラノのような文才はまったくなく、気の利いた台詞ひとつ言えないのです。クリスチャンは「ああ、優美な言葉が語れたなら!」と嘆き、シラノは「颯爽たる美青年の士官であったなら!」とため息をつきます。そこでシラノの「華やかな弁舌」とクリスチャンの「心惑わす美しい肉体」の協力が成り立ち、二人は「恋物語の主人公」になろうとします。
とはいえ、これは対等の協力ではありません。得をするのは美男のクリスチャンのほうであり、シラノは黒子に徹するだけです。第3幕では、『ロミオとジュリエット』ばりのバルコニーの場面において、ロクサーヌにクリスチャンが相対面し、他方でシラノは暗闇に隠れて、心をとろかす恋の口舌を放ち続けます。その麗句にロクサーヌはすっかり酔いしれて、クリスチャンに口づけを与えることになるのです。第4幕では、シラノとクリスチャンが戦場に駆り出されますが、シラノは友人に成り代わって何通もの恋文を認めてロクサーヌに送りとどけます。その文面にあらわれた心情に惹かれて、ロクサーヌは戦場に駆けつけてきますが、彼女の目の前でクリスチャンが戦死します。
こうなると、ロクサーヌはいったい何に恋したのか、という疑問がわいてきます。それはひとえに<ことば>なのです。クリスチアンが美男であったことも彼女のこころを動かしたかもしれませんが、それ以上に彼女はシラノによって紡ぎ出された華麗な文句に感動します。レトリックの勝利といえます。いかにもことばの国フランスらしい恋愛劇です。とはいえその文彩の奥にはシラノの秘められた真情が潜んでおり、それが<ことば>に力を与えるのです。
それから14年後、第5幕、ここからがしみじみと情感深い場面です。修道院において、ロクサーヌは自分の心を魅了した手紙の主が実はシラノであったことを知り、闇討ちに遭って瀕死の状態にある彼に向かって言います。
「愛しております、生きていてくださいまし! Je vous aime, vivez !」
初めての愛の告白、しかしシラノはこう答えるのです。
「いけない、いけない! お伽噺の中の話だ、<愛しています>の言葉を聞いて、自分の顔を恥じてきた王子の醜さが――輝く日の光だ! この言葉でたちまちに、消えてなくなる……だが、わたしは、一向に変わりはしない。Mais tu t’apercevrais que je reste pareil.」(渡辺守章訳)
お伽噺とはもちろん『美女と野獣』のことです。シラノは、王子とは違って一向に変わりはしません。しかし、死を前にして、彼は醜い姿のまま、長いあいだ恋い慕っていた女性の愛を勝ち得ることになります。