名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(38)

« Mon Nara » No 268, 2015年3-4月号 掲載  

名句の花束―フランス文学の庭から(38)

三野博司(会長)

Ne me touchez pas ! ou je me jette à l’eau.
さわらないで! でないと水に飛び込むわ
(メーテルランク『ペレアスとメリザンド』1902年)

「美女と野獣」の変奏ともいうべき作品を二つとりあげたあとは、「騎士と精霊」の系列の諸作品を紹介しましょう。このジャンルの代表作ともいうべきジロドゥーの『オンディーヌ』はすでに第9、10回で登場しています。水の精伝説の物語ですが、さまざまなバリエーションがあります。
ドビュッシーのオペラで知られる『ペレアスとメリザンド』のヒロインもそのひとり。とらえどころのない不思議な魅力をたたえ、人間であるはずなのにまるで水の精ではないかと思わせます。ゴローがはじめて彼女を見つけたのは森のなかの泉のほとりでした。彼女は繰り返し水に飛び込むと言ってはばかりません。

Ne me touchez pas ! ou je me jette à l’eau.
さわらないで! でないと水に飛び込むわ

どこから来たのかと問うと「遠くから」と答え、年はいくつかと訊かれて「寒いわ」と応じる、そんな彼女に魅せられたのか、ゴローはメリザンドを城に連れ帰り、後妻とします。けれども、メリザンドにはすでに見た水の精ウンディーネやオンディーヌのような一途の恋心も、快活さもありません。ただ、物憂げであやしい無邪気さが生み出す魅力によって、男性を破滅へと導いていくのです。
ドビュッシーのオペラは1902年に初演されましたが、もとはいえば『青い鳥』の作者として知られるベルギー象徴派のメーテルランクによる演劇作品であり、1892年ブリュッセルで出版されました。『青い鳥』(1908年)はおろか『ペレアスとメリザンド』もまだ発表されていない1891年1月26日、若い日のジッドが友人のヴァレリー宛に書いた手紙があります。「ぼくも象徴主義者です。[…]したがって、詩においてはマラルメ、戯曲においてはメーテルランク──そしてこの二人と並ぶとやや矮小な感じがしますが、小説においては「ぼく」と付け加えます」。この時代に早くも、ジッドの目には、メーテルランクが象徴主義演劇の代表者として映っていたことがうかがわれます。
パリでの初演は1893年5月17日、ブッフ・パリジャン座、リュネ=ポーの演出、メリサンド役はサラ・ベルナールでした。舞台を見たドビュッシーは戯曲を購入し、一読して感動。音楽をつけることを考えたのです。原作の5幕19場から、4場をカットし5幕15場として、1902年4月30日、オペラ=コミック座で初演されました。これは、ドビュッシーにとって生涯でただ一曲のオペラ作品となりました。
CDはクリュイタンス盤とカラヤン盤が以前から高い評価を得ていますが、映像で見たい人にはDVDが二種出ています。1992年のブーレーズ指揮、ウェールズ・ナショナル・オペラのものと、より新しい2004年のヴェルザー=メスト指揮、チューリッヒ歌劇場のものです。12年の開きがありますが、いかにもオーソドックスで原作の神秘的な雰囲気をよく伝える前者のシュタイン演出に比べて、後者のベヒトルフ演出は、奇抜さを狙う傾向にある近年のオペラ演出の流れを汲むものに思われます。奈良日仏協会シネクラブでフランス・オペラを取り上げたときには、シュタイン演出版を鑑賞しました。ここでメリザンドを演じているのはイギリス人のハーグレイ。水の精のようなはかなげな風情と、そこはかとない悲しげな表情をたたえています。他方でチューリッヒ歌劇場の歌姫イザベル・レイのほうは、歌唱力は確かなものの、メリザンドにしては存在感がありすぎる感じもします。(以下次号)