名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(39)

« Mon Nara » No 269, 2015年5-6月号 掲載 

 名句の花束―フランス文学の庭から(39)

三野博司(会長)

Je ne mens jamais ; je ne mens qu’à ton frère… (2)
けっして嘘はつかないわ、つくのはあなたのお兄さんにだけ…
(メーテルランク『ペレアスとメリザンド』1902年)

 海と森に近い架空のアルモンド国を舞台とし、時代設定も明示されていないこの戯曲は、ヨーロッパのさまざまな伝説や伝承を取り込んでいるように見えます。トリスタンとイゾルデ、メリュジーヌ、そしてオンディーヌ伝説。すでに第1幕の登場からメリザンドが水の精のおもむきをたたえていることは前回述べました。泉のそばでメリサンドを見つけたゴローは、彼女を城へと連れ帰ります。そこには彼の異母兄弟であるペレアスがいて、メリザンドの不思議な魅力に惹かれていくのです。
第三幕で、メリザンドが高い塔の窓辺にたたずんで、長い髪を梳くすがたはまるで人魚のようです。やがてペレアスが登場すると、メリザンドが窓から身を乗り出し、その髪が塔の上から落ちてくるのですが、これは事故ではなく、メリザンドの作為であるようにも思われます。ペレアスは、その髪にくちづけし、両腕で抱き締め、自分の頸に巻きつけてしまうのです。この幕の冒頭は、ドビュッシーのオペラにおいてもっとも美しい場面のひとつです。若い時代のワーグナーの影響から脱した彼は、この作品でことばと音楽の精妙なむすびつきをめざし、長いメロディーも、アリアも、アンサンブルも、レシタティーヴォも排除しました。そんななかで、唯一の歌らしい歌といえるのが、メリザンドによる中世風の教会旋法による歌です。アカペラで歌われるだけに、いっそう純な響きが印象に残ります。クリュイタンス盤のCDに収められたロスアンヘレスの歌は、蠱惑的な妖しさはないものの、つややかで暖かく透明感があります。
第四幕第四場では、庭園の泉のほとりで、メリザンドとペレアスが二人だけで最後の夜を過ごすのですが、そこで彼女はぬけぬけとこんなせりふを吐きます。

     Je ne mens jamais ; je ne mens qu’à ton frère…
けっして嘘はつかないわ、つくのはあなたのお兄さんにだけ…

 哀れなのはゴローですね。まるで双生児の兄妹であるかのようなペレアスとメリザンドはおとぎ話の世界に生きています。そしてゴローだけが人間的な嫉妬に苦しむのです。メリザンドはフランス文学に登場するファム・ファタルfemme fataleの仲間に入れられることがあります。その魅力で男を誘惑し、破滅へと導く女たちですが、彼女にはマノン・レスコーやカルメンのような奔放さはまったくありません(といっても、「名句の花束」では、これまでにマノンもカルメン登場していません。いずれまたの機会に)。むしろつねに受動的で、何もしない、その何もしないことで男を破滅させる。こっちのほうが恐ろしいかもしれません。無垢な女性だと思って近づいたら、実は……というわけですから。
このあと、幕開けから暗い予兆に貫かれていたドラマは、一気に悲劇へとなだれを打っていきます。第4幕「庭園の泉」の場面で、嫉妬に苦しむゴローがついにペレアスを剣で倒すことになり、第5幕「城の一室」では、ゴローが瀕死のメリザンドに罪を犯したのかと執拗に問いかけるのですが、彼女はあいまいな答えを返すばかりで落命します。
『ペリアスとメリザンド』は音楽家の霊感を奮い立たせるのでしょうか。フォーレもこの劇の付随音楽を作曲しています。その第5曲「シシリエンヌ」は単独でも演奏されることが多く、フルートとハープが奏でる付点リズムのついた哀愁ある旋律は一度聴いたら忘れない強い印象を残します。もとはいえばチェロとピアノのための曲で、弟子の手によってオーケストラ用に編曲されたと言われています。