名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(9)

« Mon Nara » No 238, 2010年5‐6月号 掲載

名句の花束―フランス文学の庭から(9)

三野博司(副会長)

Comme je l’aurais aimé !
あたしきっと好きになったのに!(1)
(ジロドゥ『オンディーヌ』 1939年)

文学作品に見られる名句となれば,なんといっても数多いのは恋の歓び,いや苦しみや悲しさを表現したものでしょう。今回は,水の精オンディーヌが,幕切れで発する哀切きわまりない一句を取り上げます。
作者のジャン・ジロドゥ Jean Giraudoux (1882-1944) は,高等師範学校に学び,ドイツ文学,とくにロマン派に親しみました。フランス人作家のなかでも有数のドイツ通といってもいいかもしれません。1910年に外務省に入り,40年に退職するまで外務官僚として国の内外で活躍すると同時に精力的な執筆活動をおこないました。小説もいくつか書いていますが,や詩情と幻想性に富んだ戯曲によって名を残しています。
このジロドゥ劇を日本で上演し続けてきたのが劇団四季です。四季といえば,まずミュージカルを思い浮かべますが,そもそもは東京大学と慶應義塾大学の仏文科の学生であった浅利慶太や日下武史が創設した学生演劇集団でした。1953年に創立されたとき,彼らが上演を目指したのが,ジャン・ジロドゥやジャン・アヌイらフランス人作家の書いた戯曲です。なかでもジロドゥの『トロイ戦争は起こらないだろう』と『オンディーヌ』は,劇団四季におけるストレートプレイの代表的なレパートリとして,たびたび再演されています。先に上演されたのは『トロイ戦争は起こらないだろう』で,1957年のこと。結成からわずか数年の四季が若さと情熱を結集させて取り組み,当時としては未曾有の5000人という観客動員を達成し,創立わずか4年目の青年劇団としては空前の記録を打ち立てた記念すべき作品だと,劇団のウェブページには載っています。
物語は,トロイ戦争を知っている人にはおなじみのものです。トロイの王子パリスがギリシアの絶世の美女エレーヌ(ヘレナ)をさらってきたことが発端となります。この弟の軽率な行為がもたらす災禍をなんとか食い止めようと,兄エクトール(ヘクトール)は,エレーヌに帰国を勧めます。しかしながら,トロイの国王プリアムは戦争を望み,詩人デモコスは民衆の戦意をあおろうとするのです。
物語の終結に近い第2幕第13景における,エクトールとユリッス(オデュッセウス)の対決が山場となります。トロイとギリシア,それぞれの英雄による交渉のなかで,ユリッスはこう言います。
「ある国民が運命の機嫌をそこねるのは,罪を犯したからではなく,間違いをしたからだ。軍隊は強く,国庫は豊かで,詩人たちは高らかに歌う。ところがある日,なぜか分からないが,市民がこっそり木を切ったとか,王子が卑劣にも女をさらってきたとか,子供が悪ふざけをしたというだけで,運命に見放されてしまう。国も人間と同じように,ごくわずかな無礼がもとで,亡んでしまうのだ。Les nations, comme les hommes, meurent d’imperceptibles impolitesses.」
ユリッスによれば,運命が戦争をさせるべくギリシアとトロイを選んだのであり,もはや避けられないのです。そしてこのことば通り,一度回避できたかに見えた戦争は,トロイ市民の愚かな行為によって引き起こされてしまいます。
原題は « La guerre de Troie n’aura pas lieu » で,「起こらないだろう」と単純未来形の否定です。ところが,実際にトロイ戦争がなされたことはだれもが知っているし,舞台でもエクトールの尽力にもかかわらず戦争を迎えるところで幕が降ります。「起こらないだろう」は,エクトールの,ひいては作者ジロドゥの強い,しかしはかない希望なのです。
この戯曲が書かれたのは1935年で,ムッソリーニによるエチオピア侵略の年です。またこの2年前の1933年には隣国ドイツでナチスが政権を握り,着々と軍備を増強していた時期です。古代におけるギリシアとトロイの戦争を題材として取り上げながら,そこには迫り来るヨーロッパの戦争が予感されています。ジロドゥ特有のエスプリに富んだ華麗なセリフを駆使し,古代の英雄たちの世界を繰り広げつつ,同時代の悲劇を見据えたドラマが展開されます。
現実の歴史は,ジロドゥの芝居をなぞるように進行します。1938年,ミュンヘン協定によって一度は戦争が回避されたように見えながら,翌39年9月には第二次世界大戦が勃発します。ジロドゥがそこまで予見していたというよりも,むしろ運命というのはしばしばそのようなかたちで人間たちを翻弄するものだということなのでしょう。
劇団四季が『トロイ戦争は起こらないだろう』を初演した翌年の1958
年に,今度は『オンディーヌ』が上演され,これもその後劇団の重要なレパートリーになりました。今回も寄り道をしてしまいましたが,『オンディーヌ』については次号で。