名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(13)

« Mon Nara » No 242, 2011年1‐2月号 掲載

名句の花束―フランス文学の庭から(13)

三野博司(副会長)

Brûlé de plus de feux que je n’en allumai.
みずから放った炎よりも烈しい炎がこの身を焼く
(ラシーヌ『アンドロマック』 1667年)

身を焦がすほどに燃えさかる恋の情念のほむら、みずからの力では制御できない奔馬のごとき愛の衝動、それらを描いて一級品なのはラシーヌの悲劇でしょう。しかも、本来ことばにならないような感情を、すべて登場人物の「せりふ」だけで表現してしまうところがすごいです。演劇とは元来が総合芸術であって、付随音楽や効果音、照明の変化、舞台美術や小道具といった多様な表現手段を総動員して成り立っているものですが、フランス古典劇は基本的にはせりふだけ、役者の肉体が発するせりふだけに拠っています。
17世紀のフランスは、言語によって世界のすべてが表象できると確信するに至った時代なのです。このことは、ますます精緻になるヴァーチャルな映像の時代に生きている私たちには理解しがたいことかもしれません。手軽な映像が奔流のように溢れる時代には、ことばというものが本来的に有している爆発的な力は見えにくくなってしまっています。
当時のラシーヌ劇の観客たちは、舞台で俳優が発するせりふを聴くだけで、今日の3D映像が与えるよりも遙かに臨場感あふれる感動に身を震わせていた……と想像することができるでしょう。
というわけで、そのせりふ、すなわち台本を味読しましょう。
ジャン・ラシーヌJean Racine (l639-99) が生まれたのは、17世紀ルイ13世の御代です。1歳のとき母を亡くし、下級官吏だった父をも3歳のときに失い孤児となります。10歳からポール=ロワイヤル修道院付属の「小さな学校」で厳しい教育を受け、そこで古代ギリシア語や文学の魅力に目を開かれました。
1667年に上演された第3作目の悲劇『アンドロマック』が大成功を収め、劇作家としての名声が一気に高まります。この主役を演じたのがモリエール一座の名花で、コルネイユもモリエールも恋したといわれる女優マルキーズ・デュ・パルクです。ラシーヌは、彼女をモリエール一座から引き抜き、自分の作品に抜擢したのですが、当然この件によりモリエールとは不仲となりました。
このあたりの話は、ソフィー・マルソー主演の映画『女優マルキーズ』に描かれています。私の「フランス言語文化史概論」という名のフランス文学史を講じる授業は、近年ではまず4月の始めにこの映画の一部を見せることから始まります。
17世紀フランス、モリエールはパリで劇団を立ち上げたものの客入りが悪く、債権者に追われ、一座を引き連れて地方巡業に出かけます。この旅回りは1645年から13年も続くのですが、この修業がモリエール自身と劇団を成長させることになります。映画は、この一座がリヨンを訪れたところから始まります。貧民街に生まれた美しいマルキーズは、街頭で踊って日銭をかせぐ毎日でしたが、モリエール劇団によって見いだされます。幸いに劇団の看板役者グロ・ムネに求婚され、彼女は一座に加えられるのです。1658年モリエールは座長として一座を引き連れ勇躍パリに帰還し、ルーヴル宮殿のルイ14世の前で公演を許されますが、そこにはマルキーズも参加していました。この宮廷で、彼女は新進劇作家のラシーヌと出会うことになります。彼は、夫グロ・ムネの死の機会に乗じて、モリエール劇団の花形女優であったマルキーズを、自作『アンドロマック』に主演させたのです。
アンドロマック(アンドロマケー)とは、トロイ戦争で非業の死を遂げたトロイの英雄ヘクトール(エクトール)の妻の名です。すでに「名句の花束」では、ジロドゥー『トロイ戦争は起こらないだろう』を取り上げたときに、この古代ギリシアの有名な戦いに触れました。ジロドゥーにおいては戦争が始まるまでの交渉と駆け引きがドラマの主筋でしたが、ラシーヌでは戦争の後日譚が展開されます。すなわち戦争に生き残った勝者と敗者の物語なのです。フランス古典劇の伝統に従って舞台は全5幕を通じて変わらず、ギリシア軍の英雄のひとりであったアキレイウスの子ピリュスの宮殿の一室です。この宮殿に、敗軍の亡き戦士の妻であるアンドロマックが美しき囚われ人となっています。そして幕が上がると……詳細は次回に。