名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(14)

« Mon Nara » No 243、 2011年3‐4月号 掲載

名句の花束―フランス文学の庭から(14)

三野博司(副会長)

Brûlé de plus de feux que je n’en allumai.
みずから放った炎よりも烈しい炎がこの身を焼く (2)
(ラシーヌ『アンドロマック』 1667年)

幕があがると、そこはピリュスの宮殿の一室です。17世紀古典劇においては、悲劇の舞台は王侯貴族の宮殿の一室、喜劇はブルジョワ(市民)の屋敷の一室と決まっており、全5幕を通じて舞台転換はありません。これを場所の単一(unité)と言いますが、他にも時の単一(舞台上で起こる出来事は1日24時間以内)、筋の単一(物語の筋は一本で簡潔)があり、合わせて三つの単一の決まり事がありました。こうした厳しい制約のもとで、次々と傑作が書かれたのです。芸術における形式と内容の微妙なバランスの問題がここにあります。
『アンドロマック』の人物関係をまず整理しておくと、卜ロイ戦争で討ち死にしたエクトールの妻アンドロマックは、息子と共にピリュスのもとにとらわれの身となっています。彼女の愛の対象は亡き夫であり、そして夫の忘れ形見アスチヤナックスです。恋の情念の向かう先を矢印で示すと、(アンドロマック→エクトール=アスチヤナックス)となります。
他方でピリュスは、スパルタの王女エルミオーヌと婚約中であるにもかかわらず、美しい虜囚であるアンドロックに恋心を寄せています。(ピリュス→アンドロマック)。エルミオーヌはピリュスへの愛を抱きつづけますが(エルミオーヌ→ピリュス)、婚約者の不実に気づき始めています。幕が上がり、エクトールの子の引き渡しを求めてギリシア側から派遣されたオレストが登場しますが、実は、彼は愛するエルミオーヌの奪還を企んでいます(オレスト→エルミオーヌ)。
ここまでをまとめて示すと次のようになります。
オレスト→エルミオーヌ→ピリュス→アンドロマック→アスチヤナックス(エクトール)
おわかりのように、みごとな「片思い」の連鎖であり、これでは誰もが絶対幸せにはなれません。悲劇的結末は不可避なのです。
ピリュスは、自分との結婚を受け入れるようにアンドロマックに迫り、承諾しないならばアスチヤナックスをギリシアに引き渡すと脅します。アンドロマックは、「埋葬の儀礼もなされずに不名誉にも/祖国卜ロイの城壁のまわりを引きずりまわされたエクトールのことが忘れられようか?」(3幕)と悩むことになります。追いつめられたアンドロマックが選んだ解決策は、息子を救うために亡き夫への愛を一時的に裏切ること、そしてピリュスとの婚礼のあと自害することでした。こうして、アンドロマックは貞潔を守るために死へと向かい、ピリュスはオレストに殺され、オレストは狂気に陥り、エルミオーヌはみずからを刺して果てることになります。
これらの出来事が、わずか1日のうちに展開します。舞台上で起こる出来事は、太陽が一巡りする時間、すなわち1日24時間を越えてはならないという約束事に従うためです。そのために必要なことは、幕が上がったときに、登場人物たちの白熱した情念が最高度に達していることなのです。閉じられた空間に可燃物質の気体が充満していて、そこへわずかな火花が飛ぶと、たちまち大爆発を起こしてしまう、そういった状態にたとえてもいいでしょう。先ほどの「片思いの連鎖」は、すでにコップに満たされた水のように張りつめていて、あと一滴注がれると、たちまち溢れ出てしまいます。幕があがると、オレストがピリュスの館に到着したところです。これがきっかけとなって、物語は悲劇の結末へと向かって、なだれをうって展開して行くのです。
さて、名句ですが、これは第1幕4場、ピリュスの台詞です。
戦いに敗れ、鉄の鎖につながれて、悔やむ思いにやつれはて、
みずから放った炎よりも烈しい炎がこの身を焼く
Vaincu, chargé de fers, de regrets consumé,
Brûlé de plus de feux que je n’en allumai.
トロイ戦争で武勲をたてたピリュスですが、いま彼が苦闘しているのは恋の戦場であり、これはさしもの勇者とて、思うにまかせません。かつて自分がトロイで放った炎よりも、いっそう烈しく燃えさかる恋の情念に身を焦がすことになります。この炎(feux)とは、トロイ落城の火焔であると同時に身を焼くほむらであり、このように本来の意味と比喩的な意味を重ねて用いる「兼用語法Syllepse」の典型例として、この句は知られています。