名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(15)

« Mon Nara » No 244, 2011年5 – 6月号 掲載 

名句の花束―フランス文学の庭から(15)

三野博司(副会長)

Car tout est bien.
なぜならすべては善であるからだ
(ヴォルテール『カンディード』 1759年)

ジロドゥー、スタンダール、ラシーヌ……と、恋にまつわる名句を取り上げてきましたが、今回はしばし中断して、ふたたびヴォルテール『カンディード』の登場です。「名句の花束」第2回において、「Il faut cultiver notre jardin. 私たちの庭を耕さなくてはなりません」という、この哲学コントを締めくくる句を取り上げました。 1759年に発表されたこの作品は、全30章からなる青年カンディードとその家庭教師パングロスによる世界遍歴の物語ですが、第5章の冒頭で、2人がポルトガルのリスボンに上陸する場面があります。船が沈没し、一枚の板にすがり、ようやく浜辺にたどり着いたあと、2人はリスボンをめざして歩きます。ところが……
「2人が町に足を踏み入れると、たちまち足元で大地が揺れるのを感じた。港の海水はあわだって高く盛り上がり、停泊中の船を砕いた。火焔と灰の渦が町の通りや広場を覆いつくし、家々は崩れ落ち、屋根は建物の土台にまで落下し、土台は散乱し、3万人の老若男女の住民が廃墟の下敷きになって押し潰された」
これが、歴史上名高い1755年11月1日のリスボン大地震の描写です。地震の少ないヨーロッパで起ったこの事件は、フランスを始めとする諸国にも大きな衝撃を与えました。ヴォルテールは、当時の雑誌や書籍からの情報に基づいて、この場面を書いたと言われています。
11月1日はカトリックでは諸聖人の祝日であり、この日の朝9時40分、ミサの最中に突如地震が発生しました。これにより基盤がもろくなった建物は、続いて起こった第2の揺れによってたちまち瓦解してしまい、狭い路地も塞がれて、多数の犠牲者を出すことになります。
地震のあとは津波でした。約40分後には高さ6メートルの大津波がリスボンを襲います。入り江は奥にいくほど水深が浅く、水面幅が狭くなるため、そこに入り込んだ津波はいっそう勢いを増大することが知られています。リスボンの街もまた、大西洋に注ぐテージョ川河口から入江状に約12キロメートル入り込んだ場所にあり、そのため津波は大きく高くなったのです。津波は町を2回襲い、死者の数は1万人に上ったといわれます。
さらに大火災が追い打ちをかけます。リスボンの町の至るところで火の手があがり、3日間燃え続け、リスボンは焼き尽くされました。
ヴォルテールは『カンディード』において、死者3万人と書いていますが、別の記録ではリスボンの人口27万5,000人のうち1/3の最大9万人が死亡したと報告されています。敬虔なカトリック国家ポルトガルの首都リスボンが、なぜカトリックの祝祭日のミサの最中に大地震の直撃を受けて、多くの聖堂もろとも破壊されたのか? この出来事は、当時の多くのヨーロッパの啓蒙思想家たちに強い衝撃を与えたのです。
ヴォルテールもまた、この世は神の摂理によって最善のものとして作られていると考えるライプニッツ流の楽天主義に対して、不信を抱くようになります。そうして書かれたのが『カンディードまたは最善説』です。
物語の先をたどりましょう。先ほどの地震の描写のあと、翌日2人は瓦礫のなかに潜り込んで食糧を見つけ、体力を回復します。そして、ここでも「この世のすべては最善の状態にある」と信じる家庭教師パングロスは、瓦礫に埋もれてたたずむ被災者たちを見て、事態はそれ以外にはありえないのだと言います。
「なぜならば、こうしたことはどれも最善であるからだ。なぜなら、リスボンに火山があるのは、その火山はほかの地には存在しえなかったからだ。なぜなら、事物が現にいまあるところに存在しないなどということは、ありえないないから。なぜならすべては善であるからだ。Car tout est bien.」
もちろん、このパングロスのことばは、震災と津波の甚大な被害を前にして空疎に響きます。『カンディード』は、そうした楽天的世界観を風刺した小説なのです。