名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(16)

« Mon Nara » No 245, 2011年7 – 8月号 掲載

名句の花束―フランス文学の庭から(16)

三野博司(副会長)

Quel crime, quelle faute ont commis ces enfants
この子たちがどんな罪を、どんな過ちをおかしたというのか
(ヴォルテール「リスボンの災厄についての詩」序 1756年)

1755年のリスボン大地震が、4年後に発表された『カンディード』執筆動機の一つであったと前回述べました。しかし、それよりいち早く、ヴォルテールは、地震を知ってすぐに一篇の詩を書いて、「この世はすべて最善のものとして作られている」とするライプニッツ流の楽天主義に不信を抱き、神の摂理に対して疑問を投げかけます。それが地震の翌年1756年3月に発表された「リスボンの災厄についての詩 Poème sur le désastre de Lisbonne」です。
詩の冒頭から、ヴォルテールは「すべては善である Tout est bien」と叫ぶ人々を攻撃し、そうした態度を愚かで、臆病な自己満足だと批判します。「<すべては善である>という語を厳密な意味で、しかも未来の希望もなく把握すると、これはわれわれの人生の苦しみに対する侮辱にほかならない……」。神が自由で、正義を行い、慈悲に満ちているなら、そうした公正な支配者のもとにあって、どうして私たちが苦しむことになるのか。そして伝え聞いたリスボン大地震の惨状について、こう問いかけるのです。
「この子たちがどんな罪を、どんな過ちをおかしたというのか
(Quel crime, quelle faute ont commis ces enfants)
母の胸の中で押しつぶされ血まみれのこの子たちが、今はなきリスボンが、
歓楽におぼれるロンドンやパリにもまさる悪徳の巷であったというのか」
こうして、ヴォルテールは従来の楽天主義を捨てて、すべては悪であるという立場を採用するに至ります。
他方で、この詩篇を読んだルソーは、1756年8月、「ヴォルテール氏への手紙」において、逆に摂理を擁護する立場を明らかにします。彼は、被害の原因のほとんどは、都市の構造や、住まい方、そして市民の貪欲さにあると述べるのです。人間社会の悪を産み出したのは人間自身であると『人間不平等起源論』以来の彼の持論を展開します。
「私は、大部分の物質的な悪はやはり私たちの産物であることを証明したと思っています。リスボンに関するあなたの主題から離れずに言えば、たとえば、自然のほうからすれば、なにもそこに6階や7階建ての家を2万軒も集合させることはまったくなかったことを考えてみてください」
すなわち、彼は大都市に人が密集するから惨禍がひどくなるのだと、反都市=反文明の立場から反駁します。第1回目の地震のときに全住民が安全な場所に逃げ出していたなら、被害ははるかに少なかっただろう。しかし、人々は自分の財産や持ち物に執着して、その場を離れなかった。
「この大震災で、ある者は服、他の者は書類を、別の者は金を、持ちだしたいがために、どれほど多くの人々が不幸にも命を失ったことでしょうか」
のちになって、ルソーは自伝『告白』のなかにおいても、「ヴォルテールへの手紙」について触れています。そこで彼は、ヴォルテールのような栄光と幸福に包まれた人間が、自分自身は災厄をまぬがれているのに、その災厄の恐ろしい光景を描き出して、神は人に害を与えることだけを楽しみにしているなどと主張するのはいかにも不条理だと書いています。他方で不幸な境遇にある自分は、人間のあらゆる不幸を吟味して、公平に検討したと、ルソーは言うのです。
「あらゆる不幸のうちで、神の摂理に罪があるような不幸は一つもなく、不幸の源は自然そのもののなかにあるよりは、人間がその能力を乱用したことにある」
このことばに従えば、原子力もまた人間の能力の乱用の結果だということになるでしょう。
ヴォルテールとルソー、18世紀のフランス思想における2人の巨人が、こうしてリスボン大震災に対する態度によっても、その相違を際立たせ、このあと両者は決定的な対立関係に入るのです。