名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(17)

« Mon Nara » No 246, 2011年9 – 10月号 掲載 

名句の花束―フランス文学の庭から(17)

三野博司(副会長)

L’essentiel est de bien faire son métier
いちばんたいせつなのは自分の務めを果たすことだ (1)
(カミュ『ペスト』1947年)

3月11日の震災の直後、まず頭に浮かんだのは、カミュが『ペスト』において描いた災厄との闘いでした。
地震のあと、その報道はただちにフランスにも伝わり、国際カミュ学会会長のアニェス・スピケルさんを始めとして、10名を越える理事会のメンバーから、日本カミュ研究会に所属する仲間たちの身を案ずるメールが次々と届きました。始めの時点では仙台在住の会員との連絡が取れなかったのですが、そのひとりを除いてひとまず他の全員の無事が確認できた時点で、私は理事会に宛ててその旨を伝える短い報告を送り、同時に、この非常時にあって『ペスト』のなかの一つのことばを思い出すと書き添えました。それは病疫の災禍のなかで、医師リユーが発する「いちばんたいせつなことは自分の務めを果たすことだ」ということばです。あまりにも単純ですが、単純であるだけに力強いメッセージとなりうる、そうした類のことばであるように思われたのです。
ところで、震災直後にカミュの『ペスト』のことを考えた人は、他にも大勢いました。
辺見庸氏は3月16日、共同通信を通じて全国の新聞に配信されている「水の透視画法」で、「非情無比にして荘厳なもの」と題して震災による日常の崩壊を語っています。そこで、カミュが『ペスト』において医師リユーに語らせたモラル、すなわちこの世に生きる不条理はどうあっても避けられないが、それでもなおひたすら誠実であることのかけがえのなさを取り上げて、これは「あきれるばかりに単純な命題」であるが、「いかなる修飾もそがれているぶん、かえってどこまでも深玄である」と述べました。(『水の透視画法』共同通信社、2011年6月に再録)
鹿島茂氏は、3月23日『毎日新聞』東京版の朝刊において、3・11以前の日本はサルトルの『嘔吐』の世界であったが、いまや際限なく続く敗北であることを知りながら闘うことをやめない『ペスト』のリユーのことばをこそ、人々は理解するだろうと指摘しています。
また吉川一義氏は岩波文庫版『失われた時を求めて』第2巻の「訳者あとがき」(2011年3月某日)で、「このような惨事を生き延びるには、当座はカミュの『ペスト』のような連帯の文学が必要とされるのかもしれない。連帯と希望がなくては、生きていけないからである」と記しています。
さらに、竹森俊平氏は5月25日発行の『日本経済復活まで、大震災からの実感と提言』(中央公論社)のなかで、震災直後に『ペスト』を読み返したときの感想として、「(カミュは)日本が経験しているような悲劇の巨大さを、あますところなく伝えることのできる、唯一の作家ではないだろうか」と述べて、この小説に示されたカミュの洞察の「あまりの鋭さ、仮借なさに感服し、たじろいでしまう」と述懐しています。
だが、それだけではありませんでした。インターネットの個人のブログで、カミュの『ペスト』について書いている人が、ずいぶんと大勢いたのです。だれもが、壊滅的被害のなかでの悲惨と混乱を前にして、カミュが主人公リュウに託したメッセージを真にリアルなものとして受けとめていました。
かつてカミュのモラルは、フランスにおいて「赤十字のモラル」と揶揄する人もありました。しかし、このモラルは第二次大戦という人類にとっての非常事態において生まれ、鍛え抜かれたものなのです。繁栄を謳歌し、浮かれ騒いでいる時代にはこのモラルは微温的で、物足りないものと目に映るでしょう。しかし、いまや戦時のモラルこそが必要なのではないでしょうか。(以下次号)