名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(20)

« Mon Nara » No 249, 2012年3- 4月号 掲載

名句の花束―フランス文学の庭から(20)

三野博司(副会長)

Vienne la nuit sonne l’heure /Les jours s’en vont je demeure
夜よ来い 時よ鳴れ/日々は流れゆき ぼくは残る
(アポリネール「ミラボー橋」1913年)

昨年の初夏以来、3・11をめぐっていくつかの名句について語りました。この間、平行してひとつの本の編集作業も進めてきました。4月に刊行される『大学の現場で震災を考える』(三野博司編、かもがわ出版)です。「奈良女子大学文学部<まほろば>叢書」の第1巻を飾るもので、文学部教員による8本の論考がおさめられています。私の「震災とフランス文学」は、一見なんのつながりもないと見えるこの二つの主題について考察してみたものです。「名句の花束」でもとりあげた、カミュ、サン=テグジュペリ、ヴォルテール、ルソーについて触れています。
今回からは、恋愛にまつわる名句に戻って、シャンソンでも知られているアポリネール Apollinaireの「ミラボー橋 Le Pont Mirabeau」を取り上げましょう。かつてはレオ・フェレ Léo Ferréの歌がよく知られていました。セーヌ川の流れのようなどこかもの憂くゆったりとしたアコーデオンの調べにのって、とどめようのない時と過ぎさった恋の物語が、少しくぐもったような声で歌われていました。いまでは Youtube で、かんたんにいくつかの歌を聴くことができます。ピアノの高音がパセティックに響いて恋の悲哀をかきたてるセルジュ・レジアーニ Serge Reggianiや、速く軽快なテンポと強いビートを伴って歌われるマルク・ラヴォワーヌ Marc Lavoineなど、レオ・フェレとはずいぶん違ったおもむきがあり、それぞれにおもしろいです。
ギョーム・アポリネールは筆名で、1880年、亡命ポーランド貴族の娘を母とする私生児としてローマに生れました。父親についてはよくわかっていません。少年期をモナコ、カンヌ、ニースですごし、19歳のときに母に連れられてパリに出てきて、さまざまな職業に就きます。この時期、生活のためいくつかの春本も書いています。
第一次大戦の前年である1913年は、フランス文学史において、数々の傑作が出版された年として知られています。まず最初にあげるべきなのは、プルーストの『スワン家の方へ』ですが、他にアラン・フルニエ『グラン・モーヌ』、ラルボー『A.O.バルナブース全集』があり、そしてアポリネールの画期的な2冊の本、詩集『アルコール』と絵画評論『立体派の画家たち』がこの年に刊行されました。前者はいっさいの句読点を排除したアポリネールの代表詩集であり、後者は当時のもっとも革新的な絵画を擁護した書物です。
第1次世界大戦が勃発すると、外国人であるアポリネールは(16年フランスに帰化しています)従軍の義務がなかったにもかかわらず、フランスを愛する気持から志願して、ニームの砲兵隊に入りますが、頭部に戦傷を受けて、2度の切開手術を受けます。アポリネールといえば、頭に包帯を巻いた姿が知られています。大江健三郎の『個人的な体験』では、生まれてきた赤ん坊が頭部手術を受ける場面で、主人公が「アポリネールみたいに頭に包帯を巻いて」と言う一節がありました。これがのちに、『新しい人よ目覚めよ』などの大江文学において、聖なる光を放つ存在イーヨとなるのです。
アポリネールはこの重い傷がいえると、ふたたび活動をはじめて、1903年に書いたシュルレアリスム演劇『ティレジアスの乳房』を舞台にかけます。1917年のことです。これはのちにプーランクによってオペラ化され、1947年、パリのオペラ・コミック座で上演されました。小澤征爾指揮によるCDが出ていて、私の気に入り歌手のひとりでもあるバーバラ・ボニーが歌っています。(以下次号)