名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(21)

« Mon Nara » No 250, 2012年5 – 6月号 掲載

名句の花束―フランス文学の庭から(21)

三野博司(副会長)

Vienne la nuit sonne l’heure /Les jours s’en vont je demeure
夜よ来い 時よ鳴れ/日々は流れゆき ぼくは残る (2)
(アポリネール「ミラボー橋」1913年)

アポリネールが1913年に発表した詩集『アルコール』には、時代を先取りした彼の前衛性を代表する詩である「地帯」と、古典的で甘美な抒情性をたたえた「ミラボー橋」と、それぞれ異なった性格をもつ詩が収められています。まずは冒頭の一篇「地帯 Zone」から。
A la fin tu es las de ce monde ancien
Bergère tour Eiffel le troupeau des ponts bèle ce matin
とうとうおまえはこの古い世界に飽きてしまった
羊飼いの娘よ おおエッフェル塔 橋の群れはけさめえめえと泣いている
前回述べたように、この詩集ではいっさいの句読点が廃されています。この始まりの二行は、新しい詩のヴィジョンを挑戦的に展開するにふさわしいものです。一行目で「おまえ」と自分に呼びかけてあらたな創造が必要であることを示唆し、二行目ではエッフェル塔に向かって大胆なメタファーを用います。
エッフェル塔は、フランス革命100周年にあたる1889年に開催されたパリ万博のときに建設されました。万博が終われば取り壊される予定であったのが、幸いに生き延びることになります。建設当時、モーパッサンを初めとする当時の作家・芸術家に嫌われたエッフェル塔も、二〇世紀に入って、新精神を標榜する芸術家たちによって歓迎されるようになりました。すでにスーラは、おそらくは建設途中の姿であろうと思われる頂上の部分の欠けたエッフェル塔を描いており、これがもっとも早い時期に描かれたエッフェル塔の絵だといわれています。他にも、ルソーの自画像の背景を構成するパリのモニュメントの一つとして、またシャガールの空中遊泳する恋人たちを祝福する事物の一つとして、エッフェル塔が描き込まれました。
しかし、この塔にもっとも強く惹きつけられた画家はドローネーでした。彼は、連作「窓」や「ブレリオ讃歌」などの画面に塔の姿を描き込んでいますが、そればかりでなく、1909年から二年間にわたってエッフェル塔の連作を制作しています。そこで彼は、光によって解体されたこの塔を、10個の視点と15個の遠近法をもちいて描き、相矛盾する平面の組み合わせによって、300メートルの高度がもたらす眩暈を表現しました。塔は、もはや静止した建造物ではなく、ダイナミズムの表明となったのです。
そして、アポリネールは言葉を塔の形に並べた絵文字の詩までつくっていますが、とりわけ「地帯」の最初の二行が提示するイマージュが鮮烈です。彼は、この新しい建造物である鉄塔を羊飼いの娘に見立てます。そしてセーヌに架かる橋々を羊の群れに、曳き船のサイレンを羊の鳴声にたとえるのです。パリの一日の始まり、それは新しい時代の始まりでもあるのです。
そして、この「地帯」の最終句もまた、印象的なものです。

Soleil cou coup
太陽 首 切られ

声に出して読んでみるとわかるように、cou[k]の音の重なりが効果的で、断頭台の刃が落ちてくるような、突然の荒々しい終結です。古い世界の終焉を告げると同時に、これから詩人によって歌われる新しい世界までが、すでに死を宣告されているかのようです。
ところで、大阪万国博覧会の時に岡本太郎によって設計された「太陽の塔」は、このアポリネールの詩に淵源があるという塚原史氏の卓抜な指摘があります(『人間はなぜ非人間的になれるのか』ちくま新書)。詳細は省きますが、1930年をパリで過ごした岡本太郎が、アポリネールの詩句にならって太陽と斬首を結びつけたバタイユの思想に触れたことがきっかけとなっています。「太陽の塔」とは、首を切られた太陽=女性があらたな太陽=新生児を産み落とそうとしている姿なのです。奇才が作り出したあの異形な建造物の着想が、アポリネールの詩にまで遡ることができるという解釈はたいへん興味深いものです。
『アルコール』に収められたもうひとつの有名な詩「ミラボー橋」については次号で。