名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(24)

« Mon Nara » No 253, 2012年11- 12月号 掲載 

名句の花束―フランス文学の庭から(24)

三野博司(副会長)

Je suis un mensonge qui dit toujours la vérité
ぼくはつねに真実を語る嘘つきだ
(ジャン・コクトー「赤い包み」1927年)

コクトーは軽業師と呼ばれるほどに、多彩なジャンルで活躍しました。世間はこうした詩人を山師のように見なして非難しましたが、それは彼の表層だけに目を奪われた誤解にすぎません。そのような変幻自在でとらえがたく、さまざまな伝説を生み出したコクトーが、みずからを語ったことばとして有名なのが、この引用句です。「私の耳は貝のから」を収めた詩集『ポエジー』から7年後、1927年の詩集『オペラ』に収められた「赤い包み」の末尾にある句ですが、コクトーを語るときに必ず引き合いに出されるものです。
主語のje「ぼく」のあとに、mensonge「嘘」とvérité「真実」と相反する語を並べてみせるレトリックが印象的です。さらに、toujours 「つねに」と補って、彼の一貫して変わらぬ態度を強調しています。コクトーにとって、詩とは、現実と見せかけ、事物と鏡のなかの反映、真実と幻影とをまぜあわせる魔術なのです。しかし、それはコクトーだけのことではありません。文学が歴史や事実報道と異なるのは、それが嘘をつきつつ真実を語る技法であるからです。作家や詩人は、現実から素材を取り出しながらも、そこに嘘(フィクション)を交えます。その嘘にこそ、作家の夢や願望、思想や情念、さらには無意識までが反映することになります。文学作品を読むとは、この嘘のなかに秘められた真実を探りあてることにほかなりません。文学作品をたんなる歴史資料としてあつかうアプローチがつまらなく感じられるのは、そこに作家の真実に迫ろうとする意図が欠けているからです。
ところで、コクトーの代表作の一つに『恐るべき子供たちLes Enfants terribles』があります。1928年12月、コクトーは阿片の解毒治療のために豪華なサンクルー病院に入院します。入院中に手記『阿片』を書き、翌29年4月に退院し、入院費用はいつものように、当時芸術家たちのパトロンであったココ・シャネルが支払いました。ところで、この入院中に彼はもうひとつの仕事を仕上げました。それが『恐るべき子供たち』であり、17日間で一気に書かれて、1929年6月に刊行されました。
少年たちの夢想と現実が入り交じった世界をみごとに描きだしているこの小説は、パリのシテ・モンチエの中庭での、中学生たちの雪合戦の場面からはじまります。ポールはダルジュロスが投げた雪つぶてを胸に受けて倒れます。それは「大理石の一撃」でした。コクトーの作品には、しばしば天使たちが現われますが、それは生と死の世界を自由に往来する力をそなえた死の世界からの使者です。ダルジュロスも、そうした天使のひとりで、その毒によってポールを死にいたらしめます。
このダルジュロスの影響下に、ポールとその姉エリザベトの近親相姦的な愛が進行します。彼らは、幼い心を持ちつづけ、大人になることを拒否し、そのためにほろび去っていきます。コクトーは、そうした少年少女の心理の襞を描き、時代の風俗を素材として、古典的完成度をもつ作品を書きあげました。この恐るべき子供たちの像は、第一次大戦後の混乱と不安の時代の人々に、発表当時の若者たちの共感をあつめました。
コクトーが脚色し台詞を作りみずからナレーションを入れて、ジャン=ピエール・メルヴィルが監督して、1950年に映画化されました。また、日本では、1979年に萩尾望都がマンガ化しています。萩尾作品に登場する美少年たちがコクトーの世界に移り住んで、その繊細な線のタッチと蠱惑的な肖像が原作の雰囲気を再現しています。