名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(25)

« Mon Nara » No 254, 2013年1- 2月号 掲載

名句の花束―フランス文学の庭から(25)

三野博司(副会長)

Mon cœur est bon, mais je suis un monstre.
心はやさしいが、わたしは野獣なのだ。
(ジャン・コクトー『美女と野獣』1946年)

ディズニーのミュージカルやアニメで知られている「美女と野獣」の物語は、18世紀フランスのボーモン夫人の童話がもとになっています。子供向け教育事典『子供の雑誌』に収められた16篇の教訓物語の一つであり、1857年に発表されました。ボーモン夫人は、各地に伝えられた「美女と野獣」を主題にした伝承を17頁の短い物語にまとめあげ、これが後世の規範となり、今日まで読み継がれています。ただ、「美女の野獣」話の原型はローマ時代にまでさかのぼります。2世紀、アプレイウス『黄金のろば』のなかの「クピドーとプシュケー」のなかには、ヒロインが美しい末っ子であり、怪物が美しい青年に姿を変えるという「美女と野獣」の基本類型がすでにあります。
さて、コクトーもまた少年時代からボーモン夫人の童話を愛読し、1946年映画『美女と野獣La Belle et la bête』を制作しました。多才な彼は、みずから脚本を書くだけでなく、監督も務めています。友人のジャン・マレーが主役の野獣に扮し、名花ジョゼット・デイが美女を演じ、そこに、音楽担当のオーリック、衣装と美術担当のベアールなど、フランス映画界の一流のスタッフが参加しました。パリ近郊のラレーにある古城で撮影され、ボーモン夫人の原作に見られた18世紀の宮廷恋愛は、20世紀の美しく荘厳な光と闇からなる映像空間へと移し替えられたのです。
ボーモン夫人の原作では、野獣はベルに向かって、自分はただ単に醜いだけではなく、知恵がなくてバカなのだと言います。他方で、二人の姉たちは、それぞれ美貌の男と才気煥発の男と結婚するのですが、結局は不幸になります。ベルこそが、そうした外見に惑わされず、誠実で愛情深い伴侶を選ぶ目をもっており、父の良き娘であることを貫いた報酬として幸せな結婚を手に入れるのです。
原作に基づきながも、コクトーはいくつかの改変を行いました。人間の内なる獣性を外面へと投影させて、特殊メイクを用いて異様な外貌を作り出しました。最初の出会いから野獣の恐ろしさが強調されており、その姿を見てベルが気絶するほどです。けれども、次第にベルの強いまなざしの力が野獣を手なずけていきます。ここでは、みずからの獣性におびえ、醜さに悩む野獣の姿がむしろ痛々しく感じられます。人はみな自分の醜い面を隠して生きていますが、彼は愛する女性の前でみずからの醜悪さを晒していなければならないのです。
Bête : Mon cœur est bon, mais je suis un monstre.
Belle : Il y a bien des hommes qui sont plus monstreux que vous, qui le cachent.
ベート(野獣) 心はやさしいが、私は野獣なのだ。
ベル あなたよりもっと野獣に近くて、しかもそのことを隠している人間は、いっぱいいるわ。
ここでベルは、人間たちが隠している野獣性を見抜いています。
コクトーは、原作にはない人物として、ベルに言い寄るアブナンを作り出しました。マレーがアブナンと野獣の両方を演じることによって、美貌ではあるが中身のないアブナンと、醜いが心優しく誠実な野獣の対比が浮き上がり、この二人が入れ替わることになります。コクトーらしい合わせ鏡のような反転を用いて、彼は人間の獣性とはなにかと問いかけるのです。なお、この映画は、戦後日本で公開されたフランス映画の第一号でもありました。