名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(29)

« Mon Nara » No 258、 2013年9-10月号 掲載

名句の花束―フランス文学の庭から(29)

三野博司(副会長)

Au printemps、 Tipasa est habitée par les dieux
春になると、ティパサには神々が住まう
(カミュ『結婚』1939年)

2013年はカミュ生誕100年の年でもあります。誕生日は11月7日ですが、すでに『日経新聞』および『朝日新聞』から取材を受けて、これらの記事はそれぞれ2月6日、7月16日の朝刊に掲載されました。まず年初に日経新聞の記者から連絡があり、時間が許せば奈良まで話を聞きに行きますとのことでしたが、結局電話とメールによる取材だけでした。朝日新聞のほうは、6月末、36歳の若い記者が、若い頃に読んだという文庫本を何冊もかかえて、東京から奈良まで来てくれました。研究室で、相手の熱意ある質問に答えているあいだに、こちらも気合いが入って、気がつけば3時間ぶっとおしでカミュについてしゃべっていました。
という次第で、その3時間をここに再現するわけではないのですが、記念の年なのでカミュについて少し書きたいと思います。とはいえ、名句から入るのは、この場合には入り口が多すぎて迷ってしまいます。思案したあげく、デッサンを話のきっかけにすることにしました。掲げた絵は、アルジェリアの首都アルジェから西70キロに位置するローマの遺跡ティパサを描いたものです。初めて訪れたのは2009年秋でした。2度目は2012年です。これらについては、『流域』(青山社)第66号「青春の土地―ティパサ」、および第71号「モハメド・ハッダのアトリエ」に詳述していますので、ここでは割愛します。ちなみにMohammed Khadda(1930-1991)は、アルジェリアを代表する画家で、その寡婦であるナジェット・ハッダさんの歓待によって、私の2度目のアルジェ訪問は忘れがたいものとなりました。
実は『地球の歩き方』のアルジェリア編というのが1970年代には出版されていたようです。当時はアルジェリアには約5000人の日本人が住んでいましたが、1990年代のテロの横行によって、外国人居住者がどんどん脱出しました。各国大使館が続々と撤退するなか、日本大使館は踏みとどまりました。とはいえ、2000年初めには、アルジェリア在住日本人は500人にすぎなかったようです。2006年頃から次第に治安が安定するようになりましたが、それでもまだ観光客の訪れる国ではありません。日本語によるアルジェリアの観光案内書は存在せず、英語もしくは仏語の本が頼りです。
アルベール・カミュが生まれたのは1913年11月7日、当時フランス領だったアルジェリアのチュニジア国境に近いモンドヴィという小さな村です。父はアルベール誕生の翌年に勃発した第一次大戦に召集を受けて、マルヌの戦いで戦死します。以後は、アルジェの貧民街で母や祖母に育てられることになります。のちにカミュは「貧困は、なによりも、私にとってはけっして不幸なことではなかった。そこには光の富が溢れていたからだ」と述べています。アルジェは地中海に臨んだ町です。空から燦々と降りそそぐ陽光が、青い海へと溶けこんでいきます。夕暮れともなれば、カミュが愛した「緑色の空」から、やわらかな光が落ちてきて町を包みこむ。そうした自然の富が、少年カミュを育てたのです。
太陽を愛したカミュは、強い光はそれだけ暗い影を生み出すのだとも書いています。17歳で発症した結核との闘いが一生続き、彼はつねに死を見つめて生きました。25歳のときに、カミュはアルジェのシャルロ書店から第2エッセイ集である『結婚』を刊行しました。地中海的霊感あふれるこの作品の冒頭に置かれた「ティパサでの結婚」は、カミュにとっての聖地になった海辺の廃墟で繰り広げられる自然との婚礼をうたっています。その冒頭部分を掲げましょう。
Au printemps, Tipasa est habitée par les dieux et les dieux parlent dans le soleil et l’odeur des absinthes, la mer cuirassée d’argent, le ciel bleu écru, les ruines couvertes de fleurs et la lumière à gros bouillons dans les amats de pierres.
春になると、ティパサには神々が住み、神々は陽光やアブサンの匂いのなかで語る。海は銀の鎧をまとい、空はどこまでも青く、廃墟は花におおわれて、光は石の堆積のなかで煮えたぎっている。