名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(34)

« Mon Nara » No 264, 2014年7-8月号 掲載 

名句の花束―フランス文学の庭から(34)

三野博司(会長)

Quand on voulut le détacher…, il tomba en poussière.
引き離そうとすると白骨は粉々に砕けてしまった(2)
(ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』1932年)

ヴィクトル・ユゴー Victor Hugoは1802年、軍人の子としてブザンソンに生れました。生家は残っていますが、ヴィクトルの生後すぐに一家はマルセイユへ転居したため、記念館になっているわけではありません。向かいには映画の創始者リュミール兄弟の生家もあります。その後、ユゴーはパリで教育を受けて、早くから文学に情熱を燃やし、1827年に発表した長大な詩劇『クロムウェル』とその序文がロマン主義の大いなるマニフェストとなり、30年には戯曲『エルナニ』によってロマン派劇の勝利を確実なものにしました。
小説に関しては、ユゴーは5作の長編を書いています。インターネットで、フランスのナント大学公開講座を視聴することができますが、そのなかにユゴーの小説に関する連続講義があります。語っているのはアニェス・スピケルさん。私の友人で、国際カミュ学会の会長ですが、カミュ研究に転ずる前はユゴーの専門家でした。2014年1月から2月にかけて行われた講義は、1回50分で5回、各回ごとにユゴーの長編小説を一つずつ取り上げています。そのうち『ノートル=ダム・ド・パリ』だけが刊行年代が早くて1832年、他の4作は『レ・ミゼラブル』を含めてすべて1860年以降の刊行です。
さて『ノートル=ダム・ド・パリ』は、新婚早々で金銭に困っていたユゴーに対して、出版社が金をもうけるなら歴史小説を書くようにと勧めたことが執筆動機の一つでした。ただし、その機会をとらえて、ロマン主義文学運動のリーダーであった彼は、ノートル=ダム大聖堂を舞台に、15世紀のパリを舞台にロマン主義的歴史小説を書き上げることになります。
長大なユゴーの小説は本題を離れて脱線することが多いですが、この小説にも「これがあれを滅ぼすだろう」という謎めいた題がついている章があります。2011年にはパリにおいてこの表題で学会が開かれたほどの有名な句ですが、私たちもここで少し脱線して、この名句について語りましょう。
小説の主役はまさにノートル=ダム大聖堂であるといえますが、その大聖堂司教補佐のクロード=フロロが、テーブルに広げてあった書物のほうへ右手を伸ばし、左手を大聖堂のほうへ差し出して、悲しげな目でこう言う場面があります。
「Hélas !  Ceci tuera cela ああ! これがあれを滅ぼすだろう」
そのあと、クロロはこんなことばを言い添えます。「恐ろしいことじゃ! 小さなものが大きなものをうち負かすのだ。[……] Le livre tuera l’édifice! 書物は建築物を滅ぼすことになるだろう!」
これがどういう意味なのか、次の章において、作者みずからが長々と説明を展開します。要点をまとめるとこうなります。古代から建築は人間の思想を記録するためのいちばん重要で広く用いられた手段でしたが、グーテンベルクが活版印刷を発明して以降、その役割を書物に譲りつつありました。人間の思想は、永遠に生きるために建築よりもさらにじょうぶで、持ちが良く、容易な手段を発見したのです。これは歴史上の一大事件でした。「書物は建築物を滅ぼすだろう」という15世紀のフロロが作中において言ったことばを、19世紀の作者ユゴーが引き取って、いまや印刷術によって建築は死んでしまったと宣言します。そして21世紀の私たちは、デジタル革命がこんどは書物の命を脅かす時代に生きているわけであり、このフロロのことばに無関心でいるわけにはいかないでしょう。
また、脇道にそれましたが、以下は次号で。