名句の花束

名句の花束―フランス文学の庭から(35)

« Mon Nara » No 265, 2014年9-10月号 掲載

名句の花束―フランス文学の庭から(35)

三野博司(会長)

Quand on voulut le détacher…, il tomba en poussière.
引き離そうとすると白骨は粉々に砕けてしまった。(3)
(ユゴー『ノートル・ダム・ド・パリ』1932年)

ミュージカルやアニメ映画によって、ヴィクトル・ユゴーというと『レ・ミゼラブル』や『ノートル=ダム・ド・パリ』などを書いた小説家というイメージが強いですが、フランス本国ではむしろ19世紀最大の詩人のひとりとみなされています。「今世紀最大の詩人は誰ですか」とたずねられて、ユゴーは「ミュッセが二番目だ」と答えたという話があります。自分が一番だということを遠回しに言ったわけですが、それだけ彼の自信は絶大でした。「19世紀最大の詩人はだれですか」とたずねられたジッドが、「ユゴーだ。残念なことに」と答えたという話もあります。確かにスケールの雄大さではユゴーが図抜けているが、詩における革新性や思想性の深さ、後世に与えた影響などにおいては、象徴派詩人たちのほうが優れているという含意がありそうな発言です。
私自身はユゴーの詩にはほとんどなじみがありません。ただし、一度だけ、ユゴーの詩と4時間にわたって格闘したことがあります。フランスの大学の博士課程は、そのむかしDEA (Diplôme des Éudes Approfondies) という予備課程の資格を取る必要がありました。この資格が与えられると、いよいよ博士論文の執筆に取りかかっても良いということです。博士課程の最初の一年の終わりにこの試験を受けましたが、提出された問題はユゴーの詩をジルベール・デュランの方法論を使って分析せよというものでした。デュラン自体は授業で扱われたので問題はありませんでしたが、難物はユゴーの詩でした。普段まったく縁のないユゴーの詩がいきなり目の前に出されて、それを読み取り、解釈し、フランス語で解答を書くというもので、4時間の試験時間があっという間に過ぎてしまいました。Cadaverというラテン語の題名がついた54 行の詩でした。試験には合格することができて、先生からこれから博士論文に取りかかれと激励されました。その後も、ユゴーの詩に親しむ機会はまったくなくて、私が知っているのはいまだにこの詩のみです。
さて、ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ』ですが、ここでは中世パリのノートル=ダム大聖堂を舞台に、ジプシー娘のエスメラルダをめぐって、邪欲に汚れた司教補佐、美男の王室親衛隊長、そして醜い大男の鐘番カジモドが争います。これは教会権力と王権と民衆の対立の図式でもあります。なかでも、民衆を代表するカジモドは、エスメラルダに清らかな愛を抱き、娘のほうでもいのちの恩人である彼の優しい心に気づくのです。ここに美女と野獣の主題が見られますが、とはいえ、エスメラルダの恋情は美男の隊長に向けられたままです。そして、おとぎ話とは違って、ここでは野獣が美しい王子に変身するという結末はありません。最後まで醜いままのカジモドは、死んだエスメラルダを抱きしめて、みずからも死ぬことしかできないのです。
物語の最後は「カジモドの結婚」と表題が付けられています。エスメラルダが絞首刑にかけられた日に、カジモドはノートル=ダム寺院から姿を消します。それから1年半、あるいは2年後のこと、郊外の墓地に納められた多くの骸骨のなかに、二つの骸骨が見つかります。一方は絞首刑で殺されて、ここへ運ばれてきた者の骸骨。もうひとつは、ここにやって来て、ここで死んだ者の骸骨です。そして、あとの骸骨は「奇妙な恰好で、もう一つのものを抱きしめていた」と説明されています。これこそが「カジモドの結婚」なのです。そして、最終行はこうなっています。
Quand on voulut le détacher du squelette qu’il embrassait, il tomba en poussière.
この骸骨を、その抱きしめている骸骨から引き離そうとすると白骨は粉々に砕けてしまった。