名句の花束

名句の花束ーフランス文学の庭から(50)

« Mon Nara » No 280, 2017年3-4月号 掲載

フランス文学の庭から(50)

名句の花束

三野博司(会長)

Ses charmes surpassaient tout ce qu’on peut décrire. (1)

彼女の魅力は描きうるすべてを越えていた。

(アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』 1731年)

「名句の花束」も第50回となりました。2009年、当時の Mon Nara 編集担当者から、記事が集まらないので誌面を埋めるために何か書いてほしいと頼まれたのがことの始まりです。以来、一度も休載することなく続いています。今では、Mon Nara は様変わりして、毎号記事が満載。その中で1頁のスペースを頂戴するのは肩身が狭いと感じるほどに、各頁に読み応えのある文章が並んでいます。この充実した誌面の背後には、代々の編集担当者の隠れた努力があることを強調しておきたいと思います。

一貫した方針もなく書き綴ってきた連載エッセイですが、このところはオペラになったフランス文学の名作を取り上げています。今回は、マスネやプッチーニのオペラで有名な『マノン・レスコー』です。原作であるアベ・プレヴォー(Abbé Prévost 1697-1763)の小説は、二つのオペラより150年も前に書かれた小説です。アベという名の通り、彼は修道士となりますが、修道院生活中から、連作『ある貴人の回想録』を執筆します。1731年、その第7巻として、ロンドン滞在中に『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの実話』を書き、この一作で文学史に名を留めました。わずか1~2週間で執筆されたと言われています。

まず語り手は、パシーで騎士デ・グリューとマノンの二人に出会います。次に会うのは、2年後カレーですが、今度はデ・グリューひとりだけです。実はこの間に二人はアメリカへ渡り、そこでマノンは死んでいるのです。そして、デ・グリューが、マノンとの出会いから悲劇的な結末までを話し始めます。語り手は、それに一行たりとも付加することなく、ここに記すのだと言います。18世紀の小説によく用いられた入れ子構造ですが、前回紹介した19世紀の作品である『カルメン』も同じ構造であることに気づかれたでしょうか。

始めにデ・グリューは、語り手に言います。「私はあまりにも彼女を熱烈に愛しているため、あらゆる男の中でいちばん不幸な人間になったのです。 Je l’aime avec une passion si violente qu’elle me rend le plus infortuné de tous les hommes. 」これがデ・グリューの物語をみごとに要約しています。以下に語られるのは、他に類を見ない「情熱」の異常なまでの激しさ、そして倦むことなく繰り返される恋ゆえの愚行、その結果次々と降りかかってくる不幸の連続です。マスネも、プッチーニも、この情念の奔流の物語をオペラにしたのです。デ・グリューとマノンの最初の出会いはアミアンです。初心な若者であった彼が、少女のマノンに出会い、たちまち恋のとりこになってしまいます。この一目ぼれの瞬間から、彼はマノンを「とても魅力的si charmante」と語り、以後「美しい」「魅力的」という言葉をいくたびも繰り返します。とはいえ、どこが、どのように魅力的なのか、マノンの身体的特徴について彼はほとんど語りません。

名句に取り上げたのは、パリのサン=シュルピス教会での再会の場面。デ・グリューはこう語ります。« Ses charmes surpassaient tout ce qu’on peut décrire. » これをあっさりと「この世ならぬ美しさだった」(青柳瑞穂訳)と訳しているものもありますが、きっちり訳すと、「彼女の魅力は描きうるすべてを越えていた」となるでしょう。恋に盲目のデ・グリューには、マノンの魅力を客観的に描く余裕などないのです。彼は、その美を崇拝するだけです。「お前は神様の作った人間としてはあまりにもすばらしい。Tu es trop adorable pour une créature. 」

彼にとって、マノンはcréatureつまり神が作った人間以上のものなのです。読者のほうとしても、デ・グリューが具体的に語ってくれないマノンの魅力を、ただこの世ならぬ美として受け入れるしかありません。(以下次号)