名句の花束

名句の花束ーフランス文学の庭から(51)

« Mon Nara » No 281, 2017年5-6月号 掲載

フランス文学の庭から(51)

名句の花束

三野博司(会長)

Ses charmes surpassaient tout ce qu’on peut décrire. (2)

彼女の魅力は描きうるすべてを越えていた。

(アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』 1731年)

前回取り上げたサン=シュルピス教会での再会場面のあと、デ・グリューはますますマノンの抗しがたい魅力に惹かれて、あとは一気に転落。たびたび裏切られながらも恋人から離れることができず、父や友人、将来の地位を捨て、賭博や殺人にまで手を汚します。最後は、娼婦としてアメリカ、ルイジアナ、ニューオーリンズの流刑地に送られたマノンにつき従って、デ・グリューも新大陸に渡ります。(ルイジアナは、1682年フランス人入植者がルイ14世にちなんで命名し、当時フランス領でした。)

『マノン・レスコー』が書かれたのはアンシャン・レジームの時代であり、これは家父長制と宗教的権力の強い時代に、個人の情熱が押しつぶされる物語です。しかし、新大陸も結局は旧制度のコピーでした。そこでも二人は逃亡を余儀なくされ、マノンだけが荒野で死んでしまいます。この旧制度に対する、愛や個人の価値、情熱擁護の物語は、出版当時は発禁処分を受けるほど非難の的でした。しかし、19世紀に入り、ロマン主義の時代になって評価され、さらには写実主義、自然主義文学もこれを味方に引き入れようとしました。

刊行から150年を経た1885年、ギイ・ド・モーパッサンは、『マノン・レスコー』の再版に序文を寄せて、次のように書きました。「かつてこれほどに鮮明に、完全に描かれた女性はいない。かつてこれほど女性的であり、かくも甘美であると同時に不実な、恐るべき女性性の精髄を体現した女性はいなかった! Aucune femme n’a jamais été évoquée comme celle-là, aussi nettement, aussi complètement ; aucune femme n’a jamais été plus femme, n’a jamais contenu une telle quintessence de ce redoutable féminin, si doux et si perfide !」

この熱烈な賛美が書かれた一年前、1884年、マスネが『マノン』というタイトルでオペラ化しています。アミアンでの出会いに始まり、パリでの生活、サン=シュルピス教会での再会と、順を追って描かれます。ただ、このオペラでは、マノンはアメリカへ送られる前に死んでしまうので、ルイジアナの場面はありません。全体としては悲劇と言うより、ヒロインのコケティッシュな性格を前面に押し出しています。DVDでは、フレミング(2001年)やネトレプコ(2007年)が若い時代に演じたマノンが、その魅力を十全に開花させています。

マスネの9年後、1893年、今度は若きプッチーニが『マノン・レスコー』を発表し、彼の出世作となりました。ここでも第1幕はアミアンでの二人の出会いです。馬車に乗ったマノンが田舎の旅籠屋にやってきます。オペラ演出において時代を現代に置き換えるのは今日ではもう常套手段ですが、10数年前にパリで見たカーセン演出では、高級乗用車と高層ビルのホテルがあらわれて、意表を突かれました。プッチーニのオペラでは、幕ごとに話が飛んでしまうので、脈絡がつかみにくいです。当時よく知られた物語だったので、それでも支障がなかったのでしょう。最終幕はルイジアナ、マノンは死を前にして「ひとり寂しく捨てられて」と歌い、悲劇の頂点で幕が下ります。

マノン・レスコーと言えば、ファム・ファタルfemme fataleの原型とも言われています。

宿命の女、魔性の女、妖婦、毒婦などと訳されますが、その魅力によって男を破滅させる女です。ただ、この定説に対して、マノンはむしろ犠牲者で、デ・グリューこそがストーカーだという異説が提出されています。たいへんユニークで、しかもそうかもしれないと思わせる筆力を備えています(青柳いずみこ『無邪気と悪女は紙一重』)。