名句の花束

名句の花束ーフランス文学の庭から(53)

フランス文学の庭から(53)

« Mon Nara » No 283、2017年9-10月号 掲載

名句の花束

三野博司(会長)

豪奢、静けさ、逸楽

Luxe, calme et volupté

(ボードレール『悪の華』1861年)

「旅への誘い」はボードレールの詩のなかでもとりわけ有名なものです。旅行企画会社のキャッチフレーズのようなこの表題を見ると、旅心が目覚め、そわそわして、目の前の仕事(たとえば「名句の花束」の原稿を書くとか)を放り出して、ふらっと出かけたくなります。ただ、ボードレールの場合は一人旅ではありません。これは恋人を旅に誘う詩であり、詩人はマリー・ドーブランとオランダに行くことを考えて、二人だけで暮らす夢想を美しい詩に残したのです。

ボードレールの散文詩集『パリの憂鬱Le Spleen de Paris』には、同じ「旅への誘い」と題した詩が収められており、その最初の数行では、恋人と一緒に訪れたいと願うこの国について、いっそう具体的に書かれています。

「類稀な国、黄金郷と人の呼ぶ国がある。私が古くからの女友達と訪れたいと夢見ている国だ。不思議な国、ヨーロッパの北方の霧に沈み、西洋における東洋と、ヨーロッパにおけるシナと、人は呼ぶことも出来るだろう。それほどに生彩ある、気紛れな幻想が恣(ほしいまま)に成長し、巧緻微妙な植物を配置して、この国を丹念に、執拗に、飾り立てている」(福永武彦訳)

マチスが点描画法で描いたコート・ダジュールの風景とは、まさに対極ですね。ヨーロッパの北方の霧に包まれた理想郷、詩人が想像の中で実現した二人だけの国なのです。

『悪の華』に収められた韻文詩のほうの「旅への誘い」では、後にヴェルレーヌが多用することになる奇数脚のリズム、すなわち7音節と5音節を交互に繰り返しつつ、微妙な感情の揺れ動きを表現しています。それぞれ12行からなる3つの詩節では、5,5,7の音節が4度繰り返されて、流動的な印象を与え、2行のリフレインでは7,7と同じ音節数を並置して、逆に静的な印象を与えます。この対比、そして、3度繰り返されるリフレイン « Là, tout n’est qu’ordre et beauté, Luxe, calme et volupté. » が、音楽的リズムを生み出します。

この音楽性を完璧に表現したのが、アンリ・デュパルク(Henri Duparc, 1848-1933)です。若くしてピアノを修め、やがて作曲を始め、1870年、普仏戦争の最中に「旅への誘い」を発表します。しかし、デュパルクは、38歳で病気のため作曲不能となり、その後自分の作品を焼却したので、わずか17の歌曲が残るだけです。なかでも「旅への誘い」は代表作であり、他の作曲家たちもこの詩に基づいて作曲を試みましたが、デュパルクほどの成功をおさめることはありませんでした。

デュパルクは第2節を省略して、第1節と第3節のみに作曲しました。全体にゆったりとしたテンポで、夢見る国への憧れを歌い上げるという印象です。冒頭のピアノから漠とした気分をただよわせ、夢幻の理想郷が霧の中から浮かび上がってくるかのような響きです。それに誘われるように、声はほとんど即興演奏のように予期しない形で入ってきて、伸びやかな旋律に乗って歌われ、恋人に呼びかけます。最初のリフレインでは、ピアノはわずかに印象的な和音の響きだけとなり、ほとんどアカペラのように、詩人の夢見る理想が淡々と語るように歌われます。続いて、クレッシェンドしつつ、いっそう動きを高めたあと、音楽は自由さを増し、頂点を迎える展開となります。二つ目のリフレインでは、歌のパッセージがピアノで思い起こされ、歌が終わると、余韻を確かめるように、ピアノのアルペジオが次第に緩やかになり、夢幻の彼方へと消えてゆくのです。