名句の花束

名句の花束ーフランス文学の庭から(54)

フランス文学の庭から(54)

« Mon Nara » No 284、2017年11-12月 掲載

名句の花束

三野博司(会長)

De la musique avant toute chose

まず何よりも音楽を

(ヴェルレーヌ「詩法」1884年)

フランス歌曲(Mélodie)にもっとも多くの詩を提供したのは、なんといってもヴェルレーヌでしょう。同じ詩に複数の音楽家が作曲している例も多く、今回とりあげる「月の光」もフォーレとドビュッシーがともに作曲しています。ヴェルレーヌの詩と音楽との近縁を示す詩句としてよく知られているのは、1884年に刊行された詩集『昔と近ごろ』に収められた「Art poétique詩法」の冒頭にある「De la musique avant toute chose まず何よりも音楽を」という宣言です。そのあとは、こう続きます。

「Et pour cela préfère l’Impair / Plus vague et plus soluble dans l’air, / Sans rien en lui qui pèse ou qui pose. そのために奇数脚を好め / いっそう漠として大気に溶け込み / 何ものもとどこおることのない奇数脚を」

奇数脚とは一行の音節の数が奇数である詩句であり、そのため音楽的な律動を得て、感情の細やかな綾を表現することが可能になると言われています。

ポール・ヴェルレーヌ(Paul Verlaine, l844–96)は、フランス東部の町、メッスに生まれました。生家は、20年ほど前に訪れたときにはその表示があるだけでしたが、現在は記念館として公開されているようです。

1865年、父の死の年に、最初の詩集『土星びとの歌(サチュルニヤン詩集)』を発表します。そのなかに収められた「秋の歌Chanson d’automne」は、上田敏の訳によって知られています(1905年、訳詩集『海潮音』)。幾人かの作曲家によって歌曲になっていますが、むしろレオ・フェレやブラッサンスのシャンソンのほうが親しまれています。原詩の内容からいっても、シャンソンのほうが似合いそうです。ボードレールにも「秋の歌」と訳されるている詩があり、若き日のフォーレが作曲していますが、原題はChant d’automneです。Chantは荘重な歌曲を指すことが多いのに対して、Chansonのほうは通俗的な歌すべてを指します。同じ「秋の歌」でも、ボードレールの死を連想させる暗さに対して、ヴェルレーヌのほうは憂愁の情趣にたっぷりひたっているという感じです。

1867年、ヴェルレーヌの初恋の人エリザが亡くなり、2年後に発表されたのが、この従姉への秘めた愛を歌った典雅な詩集『雅なる宴La Fête galante』です。18世紀ロココ時代のフランスの画家ワトー(Antonie Watteau 1684-1721)の描いた典型として、「雅なる宴」の絵と呼ばれる一連の作品があります。田園や庭園に集った複数の男女が愛を語り合う、その様子を描いたものであり、ヴェルレーヌはこのワトー的な世界を歌いあげようとしました。

1887年、フォーレはヴェルレーヌを発見し、詩集『雅なる宴』の冒頭に置かれた「月の光」に曲を付けました。共通の美意識をもった二人の芸術家の幸福な出会いです。「月の光」はいままでの歌曲の概念を変える最初の曲のひとつで、ピアノと声がそれぞれ独立しています。前奏でピアノがメヌエットを奏でます。メヌエットは古い舞曲で、ゆるやかな3拍子。1拍目にアクセントが置かれ、優雅に踊られる宮廷舞曲です。やや安定感を欠いたピアノの音が、どこかはかなげでもの憂く、かつ典雅な気分をみごとに表現しています。それはまさに月の光の下で繰り広げられるかつての「雅なる宴」を幻想的にイメージさせてくれます。一度聴いたら忘れれないメヌエットですが、そこへ声がそっと加わります。とはいえ、ピアノは平然として演奏し続け、声も独自に歌います。それぞれが独立しながらも、二つのパートが緊密に融和しているという不思議な印象を与えます。ボードレールの詩に作曲された「秋の歌」は、フォーレの初期作品であり、ロマン主義的な雰囲気が残っていて、他の作曲家たちの影響も感じられます。「月の光」に至って、フォーレは、他の追随を許さない独自の世界を完成したといえるでしょう。