名句の花束

名句の花束ーフランス文学の庭から(40) 

« Mon Nara » No 270, 2015年7-8月号 掲載

名句の花束—フランス文学の庭から(40)

三野博司(会長)

― étroite à n’y pouvoir marcher deux de front
二人並んでは通れないくらい狭いのです
(ジッド『狭き門』1909年)

 前回までに「美女と野獣 騎士と妖精」の主題で三つの作品を紹介しましたが、その前に取り上げたのはバルザック『谷間の百合』でした。モルソフ夫人ことアンリエットが、フェリックスとの地上での愛を断念し、天上を憧憬しつつ死を迎える物語でした。今回取り上げるジッド『狭き門』のヒロインもまた、やや似た経緯をたどって、現世での愛を遠ざけて病死してしまいます。モルソフ夫人は貞淑な人妻にして二児の母。フェリックスとの愛をかなえるには困難な状況にあります。他方でこちらのヒロインであるアリサはもっと自由な身であり、すべては彼女の意志で決定できるように思われます。ところが、プロテスタントの厳正な信仰が彼女の愛の障害となるのです。
アリサはもちろん西洋人の名前で、若いころ私が初めて『狭き門』を読んだときには周囲にそのような名前の女性はいませんでした。ところが、20年ほど前に授業でこの作品を取り上げたとき、ひとりの女子学生が「私も有里紗」ですと言って、これが日本人の名前になっているのに気づきました。そしていまではもう珍しい名前ではありません。亜理沙、愛梨沙、ありさ……。
作者のジッドは1869年パリに生まれました。リュクサンブール公園のすぐ北、現在のエドモン・ロスタン広場2番地、ダロワイヨのあるところです。彼は好んで自分を「2つの血筋、2つの地方、2つの宗教の果実」と呼んでいました。父は南仏出身でカトリック、母は北仏出身でプロテスタント。この二つの要素が自分のなかで混交していると自覚していましたが、ただ宗教的にはとりわけ厳格なプロテスタントの母に育てられ、11歳の時父を失ってからはいっそうその支配を強く受けました。
フランスはカトリックの国であり、プロテスタント教徒は、カトリック教徒、イスラム教徒に次ぐ第3位で、人口のわずか3パーセントを占めるにすぎません。歴史的には15世紀末、アンリ4世がナントの勅令を発して信教の自由を認めたことで勢いを得ましたが、ほぼ一世紀後にルイ14世がこれをフォンテーヌブローの勅令で取り消したことも手伝って、フランスでは少数派になってしまいました。
「宗教改革」を意味するRéformeという名を冠したプロテスタント系週刊新聞があります。第二次大戦後に発刊され、現在も続いています。私の博士論文の指導教授であったヴィアラネー先生は、大学を早期退職後、1984年から数年間Réformeの編集長を務めておられました。事務所は、パリ、モンパルナスのメーヌ通り43番地にあり、何度か編集長室を訪れました。
博士論文を書きあげたあと、先生からの求めに応じて、数年にわたりこの新聞に日本文化紹介エッセイを書いたことがあります。プロテスタント系の新聞ということで、日本人の spiritualité に触れるような文章を心がけました。生まれてから30年京都に住んでいたので、春の桜、秋の菊、おけら参り、金閣寺などなど、主として京都の風物を紹介しながら日本文化と日本人の精神生活に触れました。やはりプロテスタントであり、 Réformeの読者であったモンペリエ大学教授のジャック・プルースト氏から感想を認めた手紙をもらったのもなつかしいです。
のちにこれらの文章をまとめて中級フランス語の教科書を作りました。タイトルは Les Saisons nipponnes et leurs signes です。自分自身が授業で何度か用いたほかに、他大学でも教科書として採用してくれる人があり、さらにはこの中の文章を仏文科の大学院の入試問題に使わせて欲しいという依頼もありました。東京の知られた私立大学でしたが、「大学院の入試レベルとして最適なんです」とのことでした。
また話がわき道に逸れましたが、ジッドについては次回に。