名句の花束

名句の花束ーフランス文学の庭から(43)

« Mon Nara » No 273, 2016年1-2月号 掲載

名句の花束―フランス文学の庭から(43)

 三野博司(会長)

 

C’est à vous d’en sortir.  出ていくのはおまえだ。(2)

(モリエール『タルチュフ』1664年)

 幕が上がると、オルゴン家の広間。主人の留守中に家族がタルチュフのうわさをしています。そこへ帰宅したオルゴンが登場しますが、加減の悪い妻を気遣うこともなく、「留守中、タルチュフさんはどうだった?」と繰り返すばかり。第2幕では、オルゴンが愛娘をタルチュフに嫁がせようと目論んで、家族の猛反発を受けます。さんざんタルチュフが話題になるのに、いっこうに舞台に姿を見せません。こうして観客の好奇心をそそっておいて、第3幕にいたって、ようやくこの偽善者がいかにも敬虔な信仰家の顔つきで登場します。この手法をゲーテは称賛したと言われています。

第4幕、テーブルの下に隠れてタルチュフの化けの皮をはがすといういかにも笑劇めいた場面を経て、オルゴンは目覚めますがあとの祭り。タルチュフに全財産を譲渡するという書類をすでに書いてしまっています。「出ていけ」というオルゴンに対して、「出ていくのはおまえだ」とタルチュフが居直るセルフが、上に掲げた句です。「軒を貸して母屋を取られる」というやつですね。「恩を仇で返す」とも言えます。自分にとって役に立つ、益になりそうだと思って内部に招じ入れると、こいつが手に負えない代物で、結局は自分の命取りになるというパターンですが、これは私たちの身の回りでもいろいろな場面でありそうです。

『タルチュフ』の場合は、第5幕、偽善者のたくらみが成功する直前に、国王の使者による救済の手がのべられて、一件落着となります。いかにもあっけない幕切れですが、これはモリエールにはよくあること。彼の劇については、筋の展開は二の次で、時代の風俗や性格の描写にこそ真骨頂があるのだと言われています。

大学の授業で見せていたビデオは、1973年ジャック・シャロン演出のコメディ・フランセーズ版です。この舞台映像が、ずっとのちになって、1980年代にNHK・BS放送から日本語字幕付で放映されました。それを録画したものを毎年授業で使っていました。17世紀の町人の屋敷を再現した舞台装置が臨場感を高め、タルチュフを始めとしてそれぞれがはまり役という感じで完成度の高い舞台だと思います。数年前からは、コメディ・フランセーズ、モリエール・コレクション DVD-BOX、全15作品、日本語字幕付が発売されています。ただ、このシリーズは、舞台は狭くて装置はないというに等しく、『タルチュフ』も登場人物がのっぺりした壁の前で演技するだけ、その演技も薄っぺらく感じられます。

パリへ行くたびに、しばしばコメディ・フランセーズ劇場に足を運びます。ごく最近では、2015年11月にマリヴォー『二重の不実』を見たばかりですが、この劇場での最初の観劇体験は、1980年9月の『タルチュフ』でした。たぶんシャロン演出だったと思いますが、細部はあまりよく覚えていません。初めて入った劇場の伝統ある格調高い雰囲気だけが強い印象として残っています。

ただ『タルチュフ』の舞台を始めて見たのは、その前年の1979年、TNP(フランス国立民衆劇場)の来日公演です。フランスの劇団の引っ越し公演が大阪で見られるなどというのはもう今では考えられないですが、かつての大阪厚生年金会館中ホールで見た舞台は、ロジェ・プランション演出でした。タルチュフを若い男性に設定する演出が当時話題になっていたと記憶しています。オルゴンは、町でみかけたタルチュフを優れた聖職者だと信じ込んで、わが家に招き入れるのですが、そこにオルゴンの隠れた欲望を読み取るというものです。つまりオルゴンは同性愛者であり、性的たくらみをもって、若い美貌のタルチュフに近づき、自分の家に住まわせるのです。まあ、そういう解釈もありかな、という感じではありますが。