名句の花束

名句の花束ーフランス文学の庭から(44)

« Mon Nara » No 274, 2016年3-4月号 掲載

名句の花束—フランス文学の庭から(44)

三野博司(会長)

 

Quand finira la comédie ? (1)

いつ終わるんですか、この芝居は?

(マリヴォー『愛と偶然の戯れ』 1730年)

 

『タルチュフ』は偽善者に翻弄される父親によって引き起こされた一家の危難を描いていました。この父親の名前はオルゴンでした。愚昧でありながら、家父長としての権力を振りかざし、愛娘をタルチュフに嫁がせようとし、息子に向かっては勘当するぞと脅します。およそ尊敬されるべき父親像とはほど遠いです。

同じオルゴンという名でありながら、マリヴォー『愛と偶然の戯れ』に登場する父親は、ずっと思慮深くて、明察の持ち主です。この名前の一致は偶然ではなく、作者はモリエールの傑作を十分に意識して命名したのだと言われています。『タルチュフ』から66年後、1730年に上演されました。ルイ14世の絶対王政の時代が過ぎて、18世紀に入り、家族のありかたが変化しているように思われますが、実際はそうでもなく、この物分かりの良い父親像はこの時代でも例外的だったようです。

マリヴォー  Marivaux はl688年、裕福な貴族の息子としてパリに生れました。パリの法学部で学びますが、法律の勉強をなおざりにして、文筆家の道を選びます。1720年に発表した喜劇『恋にみがかれたアルルカン』により名声を得て、以後30数篇の喜劇を書きます。なかでも恋愛喜劇が有名であり、恋の発生およびその後の恋に対する主人公の揺れ動く心理を描くのを得意としました。

3幕散文喜劇の『愛と偶然の戯れ』は彼の代表作です。『タルチュフ』については、かつてNHK-BSで放映されたコメディー・フランセーズによる上演を授業で紹介したと書きましたが、同じ時期にやはりBSで放映された『愛と偶然の戯れ』も楽しい舞台なので、毎年のように授業で見せていました。18世紀の裕福な市民の館が再現されて、いかにもロココ趣味の芝居に仕上がっています。他方で4年前パリに滞在したときに見たコメディー・フランセーズの舞台は、ずっとシンプルで様式化された装置が設えられ、現代的な演出でした。父親がやや滑稽に描かれて、変装した娘のゲームを楽しんでいる風だったり、それぞれの人物の演技が過剰で性格付けが強調されていたり、マリヴォー劇に対する新しい解釈がそこに反映しているのでしょうか。色で言うと、やや原色が目立つという感じです。ただ授業で見せたいと思うのは、単に自分の感覚が古いだけなのかも知れませんが、やはりかつての優美なパステルカラー色の演出です。

物語は、オルゴンの娘と、このオルゴン家にやってきた田舎に住む青年の恋ですが、2人はたがいに相手の人物を見きわめようと、召使いと役割を取り変えます。ここでは、変装 déguisementが重要な主題となります。登場人物6人のうち4人が第1幕冒頭で変装して、そのまま芝居が進行します。これにより人物それぞれの性格が二重になり、人間関係も複雑化します。コミュニケーションは不透明になり、幾重ものヴェールで覆い隠されて、どこに真実があるのかわからず、人物たちはついには自分のアイデンティティまでも疑い始めます。他人を演じることは、結局自分自身の正体について自問することになるのです。ここには、変装のもつ二重性があざやかに示されています。変装することによって自分自身を隠し、自由にふるまうことができる。しかし、その自由は結局もう一つ別の檻に入ることであり、今度はそこから抜け出すことが困難になります。

引用句は、第2幕第11場、父親に頼み込んで変装ゲーム始めたシルヴィアが、とうとう耐えきれなくなって父に問う場面です。「Quand finira la comédie ?  いつ終わるんですか、この芝居は?」(以下次号)