名句の花束

名句の花束-フランス文学の庭から(47)

« Mon Nara » No 277, 2016年9-10月号 掲載

名句の花束-フランス文学の庭から(47)

 三野博司(会長)

 Tout finit par des chansons. (2)

ものみな歌で終わる

(ボーマルシェ『フィガロの結婚』 1780年)

 

パリのコメディ・フランセーズの正面玄関を入ると、椅子に腰かけてほおづえをつくモリエールの全身像が目を引きます。その手前にはボーマルシェの像もありますが、こっちはずっと小ぶりの胸像です。この建物が建造されたのは1799年、ボーマルシェ死の年であり、『セビリアの理髪師』も『フィガロの結婚』も上演は別の場所でした。

『セビリアの理髪師』の筋立ては、古典的な喜劇の常套に従っています。中年の男が若い養女を育ててやがては妻にしようと虫の良い目論みを立てますが、結局は若い男があらわれて掌中の珠をさらっていくという話。モリエールも同じテーマで『女房学校』を書いています。これだけなら新味はないと言えますが、ただ従者として登場するフィガロに、身分は低いけれども機転がきき、陽気で策略好きという基本的な性格が付与され、芝居を生き生きしたものにしています。

続篇の喜劇『フィガロの結婚』は、18世紀でもっとも成功した芝居です。こんどは主役として登場したフィガロが、縦横無尽に活躍します。彼の口から、当時の特権階級を攻撃するスローガンが発せられると、観客は喝采したといわれています。時代はすでにフランス革命前夜でした。なかでも第5幕第3場、フィガロが観客席に向かって発する長い独白は人口に膾炙されていますが、伯爵を批判する内容のその一部を引用しましょう。生まれの貴賤が一生を決定するという身分制度への批判が、痛快なせりふで語られます。

「あなたは自分が大貴族だから、うまれつきの才能もたっぷりあると思ってる!……爵位、財産、地位、いくつもの肩書き、全部揃って威張りくさっているんだ! でも、これだけのおいしい結果を手に入れるのに、あんたはいったい何をしたんです? 生れるという骨を折っただけ、後は何もしてないじゃないか。Qu’avez-vous fait pour tant de biens! Vous vous êtes donné la peine de naître, et rien de plus.」(鈴木康司訳)

ル・フィガロ (Le Figaro) は、フランスの日刊紙の名前にもなっています。1826年創刊、現在もなお刊行されて、フランス国内では最も古い歴史を持ちます。政治的色分けとしては保守中道といったところです。紙面では標題の下に次のことばを標語として掲げていますが、これは先にも紹介した第5幕第3場のフィガロの長台詞の中にあります。

« Sans la liberté de blâmer, il n’est point d’éloge flatteur. »

「譴責処分なんてものがなければ、お追従、おべっかもなくなるさ」

ところで、名句に掲げたのは、『フィガロの結婚』最後の句です。フィガロの「どうぞ皆様、私めに嬉しい喝采と名誉をくださいますよう」で大団円を迎えたあとに、音楽付きのヴォードヴィルが続きます。バジールが先導をつとめ、以下、シュザンヌ、フィガロと登場人物たちが順次口上を述べたあと、最後に登場したブリドワゾンが、次の句で締めくくります。

« Tout finit par des chansons. »

往年の辰野隆訳は「唄でおわるが世のならい」、小場瀬卓三訳は「歌でめでたし しめくくり」、最新の鈴木康司訳は「すべては歌でめでたしとなる」となっています。表題に掲げた「ものみな歌で終わる」は、ボーマルシェの芝居を愛した花田清輝の戯曲の題名です。1964年、日生劇場の柿落としのために書かれ、上演されました。「かぶきの誕生に関する一考察」の副題が示すように、佐渡島を舞台に出雲のおくにを描き、フィナーレは京都四条河原。「歌で終わる」というより、これから歌舞伎をはじめようとするところで幕が下ります。