ガイドクラブ

「吉野川宮滝周辺散策」と「手漉和紙工房見学」(2018年)

今年度のガイドクラブ散策では、10月13日(土)に奈良県吉野町の吉野川沿いの名所を訪ねます。

◆参加費:会員2000円 一般2500円 (定員15名、昼食代・バス料金込み、要予約)
◆申込先:Nasai206@gmail.com 浅井直子
◆当日はピエール・レニエさんがゲスト参加
◆行程
11:00 近鉄大和上市駅集合、吉野川沿いの「妹山・背山遠景地点」まで徒歩(20~30分)、写真撮影
12:00 「立野」バス停から、吉野町コミュニティバスに乗車、「宮滝」下車、吉野川渓流沿い櫻木神社方面散策
13:00 「まつや食堂」お座敷にて昼食  
14:00 吉野離宮跡の「梅谷醸造元」(宮滝しょうゆ)見学
14:45 マイクロバスにて窪垣内へ向かう 
15:15 「福西和紙本舗」工房見学
16:37 吉野町コミュニティバスに乗車   
17:05 大和上市駅到着、解散(その後は、有志で飲み会)

◆案内
【妹山・背山】江戸時代、近松半二らの合作 『妹背山婦女庭訓』(いもせやまおんなていきん)は浄瑠璃や歌舞伎で上演され、吉野川をへだてた妹山と背山を背景にした敵同士の家の男女の悲恋物語は、舞台演出の見事さもあって、今なお人気演目となっています。「妹山」「吉野川」「背山」の3つを一望できる地点を訪れます。

【宮滝】 吉野というと今日では「花の吉野山」を思い浮かべる人がほとんどですが、万葉時代は、「桜」の吉野山は一首も詠まれておらず、大半は吉野川流域の土地に関係し、「山の吉野」よりも「川の吉野」が中心でした。雄略・斉明・天武・持統・文武・元正・聖武にいたるまで、明日香、藤原、平城の都からたびたび天皇が行幸し、中でも持統天皇は在位11年の間に31回も訪れ、吉野に特別な思い入れがあったようです。柿本人麻呂、山部赤人、大伴旅人ら、時の天皇にお供した宮廷歌人たちも、吉野で歌を詠んでいます。その一部を、ルネ・シフェール (René Sieffert) さんの仏訳Man.yôshû とともに、以下に紹介しましょう。

山川も 依りて仕ふる 神ながら たぎつ河内に 舟出せすかも  柿本人麻呂 巻1-39
La Souveraine divine
que viennent servir ainsi
les monts et rivière
dans le val aux eaux rapides
elle fait sortir sa barque
(Kakinomoto no Hitomaro)

み吉野の 象山のまの 木末には ここだも騒く 鳥の声かも   山部赤人 巻6-924
De Yoshino
au val de Kisayama
dans la ramure
ah le chant des mille oiseaux
qui mènent si grand tapage
(Yamabé no Akahito)

昔見し 象の小川を 今見れば いよよ清けく なりにけるかも  大伴旅人 巻3-316
Jadis j’avais vu
le ruisseau de Kisa
or à cette heure
je le vois plus que jamais
pur et limpide devenu
(Ôtomo no Tabito)

 万葉から1250有余年の後、谷崎潤一郎は小説『吉野葛』(1931) で宮滝の岩の上に腰をおろして語り合う二人の青年を通じて、私達読者に母恋の身上話を聞かせてくれます。万葉の歌人から昭和の作家に至るまで、人は山深い吉野の渓流のほとりに来ると、何かしら心の奥底にある情動が呼び覚まされるのでしょうか? 現地を訪ねて、歌や小説の言葉の背後に流れる吉野川のせせらぎが聴きとれるようになれば、心はすでに「よき人のよしとよく見てよしと言ひし」吉野の「よき人」! 当日は『万葉集』や『吉野葛』のフランス語テクスト抜粋その他の参考資料を用意します。

【吉野の手漉き和紙】 la papier fait-main de Yoshino 
「吉野手漉き和紙は、大海人皇子が養蚕と共に和紙の製法を吉野の人々に教えたのが始まりと言われ、その伝統と技術は1300年以上吉野の地で守られてきました。吉野では明治初期ごろには約200軒が手漉き和紙を作っていたそうですが、和紙需要の減少により、今では手漉き和紙を作っているのは6軒だけです。」
« La légende veut que le washi ait été introduit dans la région de Nara avec la sériciculture par le prince Ômano, futur empereur Tenmmu, il y a plus de 1300 ans, et que ces deux traditions aient été depuis lors protégées à Yoshino. Au début de l’ère Méiji (vers 1860-70), il y avait près de 200 papetiers à Yoshino, mais la baisse de la demande de washi a réduit ce nombre à 6. » (奈良県知事公室国際課発行「奈の良」第7号、フランス語版「Na no Ra」No7より抜粋、フランス語訳は奈良県国際交流員ジャンヌ・オストリーさんによるものです)

※ 10月に工房見学を予定している福西和紙本舗の手漉き和紙は、文化財の修復紙としてその品質が高い評価を受けており、ボストン美術館、大英博物館、フランスのルーブル美術館やギメ美術館の方々も見学に来られるそうです。