シネクラブ

『気狂いピエロ』 Pierrot Le Fou

第53回 奈良日仏協会シネクラブ例会
53ème séance du ciné-club de l’Association Franco-Japonaise de Nara

◇日時:2020年2 月23日(日)13:30~17:00  le dimanche 23 février 2020
◇会場:生駒市セイセイビル2階206会議室 Ikoma Seiseibiru 1er étage salle 206
◇プログラム:『気狂いピエロ』 Pierrot Le Fou, 1965, 105 minutes 
◇監督:ジャン=リュック・ゴダール Jean=Luc Godard
◇参加費:会員無料、一般300円 
     gratuit pour membres et étudiants, 300 yens pour non-membre
◇懇親会:例会終了後「カルメシ茶屋」にて Réunion amicale au restaurant Karumeshi-chaya
◇問合わせ:Nasai206@gmail.com tel. 090-8538-2300(例会・懇親会とも予約不要)

≪映画紹介≫
妻との生活に退屈していたフェルディナン(ジャン=ポール・ベルモンド)は、偶然、かつての恋人マリアンヌ(アンナ・カリーナ)と再会し、ふたりは一夜を共にする。翌朝目覚めると、マリアンヌの部屋に男の死体がある。フェルディナンは驚くが、マリアンヌは平然として歌を唄いながら朝食を作っている。わけは後で話すというマリアンヌとともに、ふたりはパリを後にして南仏に向かう。途中、強盗をしたり、怪しげな男やギャングにつきまとわれながら、ふたりは逃避行を続ける。
本作品は、『勝手にしやがれ』(1960) と並ぶ初期ゴダールの伝説的代表作。ことば、映像、音楽による引用と修辞に溢れ、画面は原色の色づかいに彩られている。南仏の海を背景に、ベルモンドとカリーナの二人の個性が際立つ。カリーナは当時すでにゴダールと離婚していたが、彼らが作りだした映画世界は観客の記憶に鮮明に刻まれて続けている。半世紀以上を経たこんにちも、カリーナの天真爛漫な表情は色あせることなくスクリーンを輝かせている。

『王妃マルゴ』La Reine Margot

第52回 奈良日仏協会シネクラブ例会の案内
52ème séance du ciné-club de l’Association Franco-Japonaise de Nara

◇日時2019年9月8日(日)13:00 ~17:00  le dimanche 8 septembre 2019
◇生駒市セイセイビル2階206会議室 Ikoma Seiseibiru 1er étage salle 206
◇プログラム:『王妃マルゴ』La Reine Margot, 1994, 160 minutes
◇監督:パトリス・シェロー Patrice Chéreau
◇参加費:会員無料、一般300円 
gratuit pour membres et étudiants, 300 yens pour non-membre
◇懇親会:例会終了後「カルメシ茶屋」にて Réunion amicale au restaurant Karumeshi-chaya
◇問合わせ:Nasai206@gmail.com(例会・懇親会とも予約不要)

≪映画紹介≫
彼女は美しいカトリック教徒でフランス王の妹、その名はマルグリット・ド・ヴァロワ。マルゴと呼ばれていた。彼はプロテスタントで礼儀知らず、髭の手入れもあまりせず大蒜と汗の匂いがするといわれている。その名はアンリ・ド・ナヴァール。二人は無理やり結婚させられた。宗教戦争によって引き裂かれたフランスを和解させる必要からの政治的策略だった。シャルル9世、アンジュー公、アランソン公のマルゴの3人の兄たちは、彼女を愛し、愛し過ぎていた。いかがわしくて独占欲の強い愛着だった。それでも彼らはみなその場にいて談笑し踊り、楽しむ風を装っていた。この家族の長はカトリーヌ・ド・メディシス。彼女は子供たちに表裏ある言動と権力への愛着を教えた。しかし8月の猛暑のさ中、憎しみと不安が、やがてすべてを封じこめようとしていた。
『王妃マルゴ』は、制作のクロード・ベリによって長いあいだ温められていた企画で、フランス史やアレクサンドル・デュマの小説に密着するよりむしろ私たちの時代の鏡に移し変えることで、瀕死の状態にある時代映画のジャンルを救い出そうと、当時の紛争(湾岸戦争、バルカン戦争、…)を拠りどころとした作品である。
監督のパトリス・シェローは、ダニエル・トンプソン(シナリオ)と協力して、センセーショナルな現代性全体をぼかすために、元の小説から本質のみ引きだして翻案し、欲望や神経症として際立たせ、源にある文学だけでなく、属しているジャンルをも超越した。フランス映画史において、このジャンルをまだ到達したことのない高みにまで押し上げ、画面を深紅の赤の血しぶきでぬらし、フレームに嘔吐をもよおさせるような悪臭を散りばめた。
シェローは、『ゴッドファーザー』のようなシチリア島の一族の物語という自らの主題に取り組み、ゴヤの絵画のように美しく、スコセッシの映画のように激しい、バロック的で暴力的な映画を誕生させた。彼は、デュマの小説を練り上げて、マルグリットの人物像をロマンチックというだけでなく、性愛と淫欲を抱いた複雑で熱狂的な女性像に仕立てながら、王国の退廃的で、きな臭いヴィジョンを作り上げた。(ピエール・シルヴェストリ)

Elle est belle, elle est catholique, elle est la sœur du roi, elle s’appelle Marguerite de Valois. Son frère l’a surnommée Margot. Il est protestant, on dit qu’il est mal élevé, mal rasé, qu’il sent l’ail et la sueur. Il s’appelle Henri de Navarre. On les marie de force. C’est une manœuvre politique : il faut réconcilier les Français déchirés par les guerres de religion. Ils sont trois frères, le roi Charles IX, Anjou son cadet et Alençon le plus jeune. Ils aiment Margot, ils l’aiment trop, d’une passion équivoque et possessive. Pourtant ils sont tous là, ils rient, ils dansent, ils font semblant de s’amuser. Le chef de cette famille, c’est Catherine de Médicis. Elle a appris à ses enfants la duplicité et l’amour du pouvoir. Mais dans la canicule de ce mois d’août terrible la haine et la peur vont bientôt tout étouffer.
Projet de longue date impulsé par Claude Berri, La Reine Margot cherche moins à coller au plus près de l’histoire de France ou au roman d’Alexandre Dumas qu’à sortir le genre moribond du film d’époque en le transformant en miroir de notre temps, l’œuvre prenant appui sur des conflits de l’époque (guerre du Golfe, guerre des Balkans…) afin de voiler l’ensemble d’une modernité fracassante.
Ne retenant du roman éponyme que l’essentiel, l’adaptant, le modelant à ses envies et ses névroses, Chéreau, aidé par Danielle Thompson au scénario, transcende non seulement sa source littéraire mais également le genre auquel il appartient, le propulsant à des cimes encore jamais atteintes dans le cinéma français, éclaboussant l’écran d’un rouge écarlate et empuantissant le cadre d’une fragrance nauséabonde.
Abordant son sujet comme une véritable saga sicilienne, Chéreau accouche d’un film baroque et violent, beau comme un tableau de Goya et brutal comme un film de Scorsese. Il malaxe le roman de Dumas pour en faire une vision décadente et sulfureuse de la royauté, faisant du personnage de Marguerite non plus une figure romantique mais un portrait de femme complexe et fiévreux, sentant le sexe et la luxure.

『未来よ こんにちは』L’Avenir

第51回 奈良日仏協会シネクラブ例会の案内
51ème séance du ciné-club de l’Association Franco-Japonaise de Nara

◇日時2019年7月28日(日)13:30~17:00  le dimanche 28 juillet 2019
◇奈良市西部公民館5階第4講座室
Nara Seibu Kominkan, 5-kai (4ème étage) salle 4 (près de la gare Kintetsu Gakuenmae)
◇プログラム:『未来よこんにちは』(L’Avenir, 2016年, 102 分)
◇監督:ミア・ハンセン=ラヴ Mia Hansen-Løve 
◇参加費:会員無料、一般300円 
gratuit pour membres et étudiants, 300 yens pour non-membre
◇飲み会:例会終了後「味楽座」にて Réunion amicale au restaurant Miraku-za
◇例会・飲み会とも予約不要
◇問合わせ:Nasai206@gmail.com(予約不要)

≪スタッフ≫ Fiche technique
監督 ミア・ハンセン=ラヴ Mia Hansen-Love
脚本 ミア・ハンセン=ラヴ Mia Hansen-Love, サラ・ル・ピカール Sarah le Picard,
ソラル・フォルト Solal Forte
撮影 ドニ・ルノワール Denis Lenoir
美術 アナ・ファルゲール Anna Falguères
編集 マリオン・モニエ Marion Monnier
録音 ヴァンサン・ヴァトゥー Vincent Vatoux, オリヴィエ・ゴワナール Olivier Goinard
衣装 ラシェール・ラウー Rachèle Raoult
制作 シャルル・ジリベール Charles Gillibert

≪キャスト≫ Distribution
ナタリー  イザベル・ユペール Isabelle Huppert
ハインツ アンドレ・マルコン Andre Marcon
ファビアン ローマン・コリンカ Roman Kolinka
イヴェット エディット・スコブ Edith Scob
クロエ サラ・ル・ピカール Sarah le Picard
ヨアン ソラル・フォルト Solal Forte
エルザ エリーズ・ロモー Elise Lhomeau
ユゴー リオネル・ドレー Lionel Dray

≪映画紹介≫
 「女優たちの輝き」シリーズ第2回はイザベル・ユペールを紹介します。セザール賞主演女優賞14回ノミネートの史上最多記録を持つ役柄の幅広さは、彼女のすぐれた演技力と特異な存在感の証。ミア・ハンセン=ラヴは女優から映画批評家を経て映画監督となった経歴の持ち主です。(浅井直子)

 ナタリー(イザベル・ユペール)はパリのリセの哲学教師。仕事に情熱を持ち、自分なりの思考をすることを生徒に伝えようとする。二人の子供の母親として家族で暮らし、昔の教え子たちや独占欲の強い母親との時間も大事にする。ある日夫は別の女性と暮らすために家を出ると告げる。彼女は自由を前にして、自分の生活に新たな意味を見出そうとする。
 監督ミア・ハンセン=ラヴのこれまでの4本の映画を見て好きになった人は、彼女の映画の特異性のすべてが含まれるこの映画にもとまどうことはないだろう。明快な物語の進展、登場人物の巧みな描き方、不確実な感情、仕事と個人的事情、家族関係と社会的地位、現実と理想などの間で揺れ動く複雑な状況。こうしたことの連続は、一見すると取るに足りないように思われるが、映画と人生の長い時間の中で積み重ねられることによって、小説的な意味やその広がりすべてを特徴づけるに至っている。監督は各シーンを配置するために時間をとって、家族の食事、ナタリーの著書を出版する編集者の新しい販売方針との不調に終わる会談、教室での授業、かつての教え子との知的な意見交換、夫との議論や押しが強くヒステリックな母親との口論の繰り返し等の場面を通じて、ナタリーの人物像と彼女の周囲の人々や彼女の環境が少しずつ明らかにされていく。(ピエール・シルヴェストリ)

『ルージュの手紙』 Sage femme

第50回 奈良日仏協会シネクラブ例会の案内 
50ème séance du ciné-club de l’Association Franco-Japonaise de Nara

◇日時 2019年2月24 日(日) 13:30~17:00 le dimanche 24 février
◇会場 奈良市西部公民館5階第4講座室
 Nara Seibu Kominkan, 5-kai (4ème étage) salle 4 (près de la gare Kintetsu Gakuenmae)
◇プログラム 『ルージュの手紙』(Sage femme, 2017年, 117分)
◇監督 マルタン・プロヴォ Martin Provost
◇参加費  奈良日仏協会会員・学生:無料、一般:300円
gratuit pour membres et étudiants, 300 yens pour non-membre
◇飲み会  例会終了後「味楽座」にて
Réunion amicale au restaurant Miraku-za
◇例会・飲み会とも予約不要
◇問い合わせ 浅井直子 Nasai206@gmail.com

≪スタッフ≫ Fiche technique
監 督  マルタン・プロボ
脚 色  マルタン・プロボ
撮 影  イブ・カペ
美 術  ティエリー・フランソワ
衣 裳  バテシバ・ドレフュス
音 楽  グレゴワール・エッツェル
編 集  アルベルティーヌ・ラステラ
製 作  オリビエ・デルボス
製作総指揮  クリスティーヌ・ドゥ・ジェケル

≪キャスト≫ Distribution
クレール    カトリーヌ・フロ
ベアトリス   カトリーヌ・ドヌーブ
ポール     オリビエ・グルメ
シモン     カンタン・ドルメール
ロランド    ミレーヌ・ドモンジョ
病棟主任    オドレイ・ダナ
セシール    ポーリーヌ・エチエンヌ

≪映画紹介≫
 主人公クレール(カトリーヌ・フロ)の職業は「助産婦」(Sage femme)、それがこの映画の原題です。映画はクレールが働く病院での出産シーンから始まり、この世に生を受けたばかりの新生児や周囲の人々の安堵と幸福感にみちた表情、決して楽ではない仕事に達成感と疲れをおぼえつつ、一日を無事に終えて夜遅くひとり自転車で帰宅するクレールの姿が、たんたんと映しだされていきます。ひとり息子のシモン(カンタン・ドルメール)は独立して今は一人で暮らすクレール。休日にはセーヌ川沿いの小さな菜園で野菜作りにいそしみ、隣の菜園で彼女と同じように趣味で農業をしているトラック運転手のポール(オリビエ・グルメ)とも気軽に言葉を交わします。
 平凡ながら充実した日常を送るクレールの目の前に、ある日突然、消息不明だった義母ベアトリス(カトリーヌ・ドヌーヴ)が姿を現わします。ベアトリスはクレールとは対照的に、お酒とギャンブルが好きで自由を謳歌する生き方をしてきた女性。物語が進展するにつれて、対照的な二人の女性の性格や生き方が少しずつ浮き彫りになり、観客としては二人のいずれにも共感又は反感を覚える面があることに気づくかもしれません。
 カトリーヌ・フロとカトリーヌ・ドヌーヴ、二人とも数多くの映画に主演してきたフランスを代表するヴェテラン女優。二人の共演がなんといってもこの映画のみどころです。二人とももう若くはないけれど、自らの人生を歩んできた女優そして人間としての存在感が、登場人物のクレールとベアトリスにいっそうの生命力と輝きを与え、この映画を味わい深くしているように思います。後半部になって二人の女性と関わってくるトラック運転手のポールを演じるオリヴィエ・グルメ(ダルデンヌ兄弟監督『息子のまなざし』(2002) でカンヌ映画祭男優賞受賞)もまた、二人の女優にまけない独特の持ち味を発揮して、観客を楽しませてくれます。
 新たに迎える一日が、たとえ不確かな未来の始まりかもしれなくても、愛する人と別れることになるかもしれなくても、自分らしく生きていこうとする、登場人物たちの姿に思わず乾杯したくなるような作品です。 (浅井直子)

『山猫』 Le Guépard

第49回 奈良日仏協会シネクラブ例会の案内
49ème séance du ciné-club de l’Association Franco-Japonaise de Nara

◇日時 2018年11月25 日(日) 13:00~17:00 le dimanche 25 novembre
◇会場 奈良市西部公民館4階第2会議室 Nara Seibu Kominkan, 4-kai (3ème étage) salle 2 (près de la gare Kintetsu Gakuenmae)
◇プログラム 『山猫』(Le Guépard, 1963年, 186分)
◇参加費  奈良日仏協会会員・学生:無料、一般:300円
gratuit pour membres et étudiants, 300 yens pour non-membre
◇飲み会  例会終了後「味楽座」にて Réunion amicale au restaurant Miraku-za
◇例会・飲み会とも予約不要
◇問い合わせ 浅井直子 Nasai206@gmail.com

(スタッフ)
監 督 ルキーノ・ヴィスコンティ Luchino Visconti
原 作 ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ Giuseppe Tomasi di Lampedusa
脚 色 スーゾ・チェッキ・ダミーコ Suso Cecchi D’Amico
    エンリコ・メディオーリ Enrico Medioli
   パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ Pasquale Festa Campanile
   マッシモ・フランチョーザ Massimo Franciosa
   ルキーノ・ヴィスコンティ Luchino Visconti
撮影・完全復元版監修
ジュゼッペ・ロトゥンノ Giuseppe Rotunno
美 術 マリオ・ガルブリア Mario Garbuglia
装 飾 ジョルジョ・ペス Giorgio Pes
    ラウドミア・エルコラーニ Laudomia Hercolani
衣 裳 ピエロ・トージ Piero Tosi
音 楽 ニーノ・ロータ Nino Rota
使用曲 ジュゼッペ・ヴェルディ「華麗なるワルツ」
指 揮 フランコ・フェルラーラ Franco Ferrara
演 奏 サンタ・チェチリア交響楽団 Symphony Orchestra of Santa Cecilia
編 集 マリオ・セランドレイ Mario Serandrei
製 作 ゴッフレード・ロンバルド Goffredo Lombardo

(キャスト)
ドン・ファブリツィオ サリーナ公爵…バート・ランカスター Burt Lancaster
公爵の甥 タンクレディ…アラン・ドロン Alain Delon
アンジェリカ・セダーラ…クラウディア・カルディナーレ Claudia Cardinale
ドン・カロージェロ・セダーラ…パオロ・ストッパ Paolo Stoppa
公爵夫人 マリア・ステッラ…リーナ・モレッリ Rina Morelli
ピローネ神父…ロモーロ・ヴァッリ Romolo Valli
ドン・チッチョ・トゥメオ…セルジュ・レジアニ Serge Reggiani
パラヴィチーニ大佐…イーヴォ・ガッラーニ Ivo Garrani
シュヴァレ…レスリー・フレンチ Leslie French
カヴリアーギ伯爵…マリオ・ジロッティ(テレンス・ヒル) Mario Girotti
フランチェスコ・パオロ(公爵の長男)…ピエール・クレマンティ Pierre Clementi
コンチェッタ(公爵の長女)…ルチッラ・モルラッキ Lucilla Morlacchi
ガリバルディ軍の将軍…ジュリアーノ・ジェンマ Giuliano Gemma
カロリーナ(公爵の次女)…イーダ・ガッリIda Galli
カテリーナ(公爵の三女)…オッタヴィア・ピッコロ Ottavia Piccolo
パオロ(公爵の次男)…カルロ・ヴァレンツァーノ Carlo Valenzano

『パリの灯は遠く』、『仁義』、『サムライ』に引き続くアラン・ドロン特集しめくくりの第四弾。今回は、時代をさかのぼり1860年国家統一を叫ぶガリバルディ将軍率いる赤シャツ隊が上陸するシチリア島が舞台です。落日を前にした名門貴族の当主の悠揚迫らざる決断と新時代へ飛び込む若者たち。自然、土地、街、交通、屋敷、人々、衣装、光、音・・・。その時代その場所へタイムスリップしたような臨場感、登場人物の語る言葉のひとつひとつが重みをもって伝わる精緻な大作です。バート・ランカスター、クラウディア・カルディナーレ出演。第16回カンヌ国際映画祭で最高賞に輝いた巨匠の代表作。

(舞台と時代背景)
 イタリア南部のシチリア島。当時はナポリを含む南イタリアと共に《両シチリア王国》に属していた。舞台となるのは、サリーナ公爵家のある島の北岸の都パレルモと、その広大な領地があり夏にそこの別荘で過ごすパレルモの南方、内陸のドンナフガータ村のモデルとなったサンタ・マルゲリータ・ベーリチェ。
 1860年のイタリア統一戦争の時代。イタリアは、サルディーニャ王国と、ローマを中心とする教皇領の他は、他国の影響下にある5つの王国・公国を合わせた集合体にすぎなかった。独立国家であるサルディーニャ王国の主導のもとで独立・統一の運動と戦いが進められ、同年11月に両シチリア王国が滅ぼされ、1861年3月に統一国民国家としての新生イタリアが出発することになる。
 シチリアの歴史は2500年に亘る異民族支配の歴史で、1302年以降はスペインの統治が5世紀半に亘って続き、前世紀からはスペイン・ブルボン王朝の支配下にあった。1860年5月、統一を目指すガリバルディ将軍は義勇軍「千人隊(赤シャツ隊)」を率いてシチリアに上陸する。赤シャツ隊のスローガンは祖国統一と腐敗した貴族支配からの解放であったから、広大な領地と財産を所有する貴族は、大変革かあるいは没落かの局面に立った。こうした時代背景において、原作小説は名門貴族サリーナ家を設定し、歴史の荒海におけるその当主の内面と運命をどのように受け入れるか、また若い世代はいかに進路を見出すかを描く。
 その先の歴史であるが、統一後もローマを中心とする教皇領はフランス軍に守られる体制のままであったことなど、ガリバルディは新しいイタリア王国のあり方に不満をもち、1862年、義勇兵を組織して反乱を起こす。ローマへの侵攻を企て、今度は新王国政府と対立する事態を招く。最終的にローマのイタリア王国併合は1870年10月である。また農民は新政府になっても大土地所有制は廃止されず農地を得られないなどの現実に不満を持つ一方、旧貴族は現状維持された形で支配層として君臨し続ける。大土地所有制が廃止されたのは第二次世界大戦後のことである。
 なおマフィアは、18世紀後半、シチリア西部の農村地帯に発生した武装集団で、山賊の跋扈する無法地帯の治安を維持するとともに農地管理人とともに土地を暴力で支配し勢力を拡大して行ったもので、映画ではそうした背景を窺うことが出来る。

(見どころ)
 《山猫》というのは、シチリアの名門貴族サリーナ公爵家の紋章です。祖国統一と腐敗した貴族支配からの解放を叫ぶガリバルディの赤シャツ隊が上陸し、戦闘が繰り広げられる事態に直面した山猫の当主サリーナ公爵ドン・ファブリツィオ(バート・ランカスター)は、どのような態度を示すでしょうか?
 公爵には長男フランチェスコ、次男パオロ、長女コンチェッタ、次女カロリーナ、三女カテリーナがあり、われらがアラン・ドロンは、公爵の甥タンクレディ役で登場します。ポスターで黒い帯で片目を隠しているのはなぜ? 『仁義』、『サムライ』で見てきた犯罪の血が流れているあのニヒルな表情は今回見られるでしょうか? 公爵は、彼ら若者たちをどのように見ていて、公爵家の将来、自身の生と合わせてどのような判断をするでしょうか?
 さて、クラウディオ・カルディナーレ演じるアンジェリカが登場します。圧倒されます。村長で土地独特の勢力図において貴族を超える大財力をもったドン・カロッジェロの娘なのです。名門貴族の山猫サリーナ公爵は、農村マフィアの山犬ドン・カロッジェロに対してなにを言い出すでしょうか。公爵と公爵家付のピローネ神父や、オルガン奏者のドン・チッチョとのやり取りも実に興味深いです。きれいごとなんかでない、人間の重みがここにも生き生きと浮かび上がります。そして大舞踏会がポンテレオーネ家の大きな大きな屋敷で催されます。滅び行くものと、新しく輝き出すものとの円舞が、目の前で見るようなリアリティをもって展開されるのです。(大内隆一)

『リード・マイ・リップス』Sur mes lèvres

第48回 奈良日仏協会シネクラブ例会の案内
48ème séance du ciné-club de l’Association Franco-Japonaise de Nara

聴覚障害を持つ女と監獄から出たばかりの男が形作る奇妙な男女の愛の姿。エマニュエル・ドゥヴォスとヴァンサン・カッセルという二人の名優が演じる新しいフィルム・ノワール。
当日は、ピエール・シルヴェストリさんがパリから来日して解説します。乞うご期待!

◇日時 2018年9月9 日(日) 13:00~17:00 le dimanche 9 septembre
◇会場 奈良市西部公民館4階第2会議室 Nara Seibu Kominkan,
 4-kai (3ème étage) salle 2 (près de la gare Kintetsu Gakuenmae)
◇プログラム 『リード・マイ・リップス』(Sur mes lèvres、2001年、119分)
◇参加費 奈良日仏協会会員・学生:無料、一般:300円 
 gratuit pour membres et étudiants, 300 yens pour non-membre
◇飲み会 例会終了後「味楽座」にて Réunion amicale au restaurant Miraku-za
◇問い合わせ 浅井直子 Nasai206@gmail.com

(スタッフ)
監督 ジャック・オディアール Jacques Audiard
脚本 トニーノ・ブナキスタ Tonino Benacquista
   ジャック・オディアール Jacques Audiard
撮影 マチュー・ヴァドゥピエ Mathieu Vadepied
音楽 アレクサンドル・デプラ Alecandre Desplat
編集 ジュリエット・ウェルフラン Juliette Welfling

(キャスト)
ポール   ヴァンサン・カッセル Vincent Cassel
カルラ   エマニュエル・ドゥヴォス Emmanuelle Devos
マルシャン オリヴィエ・グルメ Olivier Gourmet
マッソン  オリヴィエ・ペリエ Olivier Perrier

Coincée, ordinaire à tout point de vue, Carla Behm manque terriblement de charme. Malgré sa surdité, elle est employée depuis quelques années à la Sedim, une société immobilière. Là, elle effectue toutes sortes de tâches ingrates, qui plus est sous les brimades de ses collègues. Une baisse de forme lui donne le droit d’engager un stagiaire comme assistant. C’est ainsi que Paul Angeli, un ex-détenu marqué par les années de prison, entre dans sa petite existence. Sans réelles capacités, Paul a pour lui son étrange beauté. Surtout, il regarde Carla comme un homme regarde une femme. Un amour platonique mais profond naît entre les deux exclus…

Emmanuelle Devos dans l’enfer de la vie de bureau. On ne voit qu’elle, d’abord, en martyre de la photocopieuse, cachant ses deux prothèses auditives. Vu le talent monstre de l’actrice (récompensée d’un césar pour le rôle), cela pourrait faire un film : la secrétaire demi-sourde, bonne à tout faire dans un cabinet de promotion immobilière… Puis elle commande un stagiaire à l’ANPE, comme si elle commandait un fiancé au Père Noël. C’est Vincent Cassel, cheveux graisseux, accent populaire à tailler au couteau. Cela aussi pourrait faire un film : l’employée frustrée et le stagiaire fruste.

Or, le film, c’est encore autre chose : un polar, une histoire de magouilles, de marigot et de magot. Le scénario se révèle plutôt complexe mais le cinéaste veille à ne jamais couper les ponts avec son atout principal, ce drôle de portrait d’une fille trouble et en pleine mutation : on la découvre peu à peu capable de la même cruauté, tenaillée par le même instinct de domination que ceux qui la brimaient. En ce sens, Sur mes lèvres est un film noir original.
(Pierre Silvestri)

目だたず、これといった取り柄もないカルラ・ベームは、魅力的とはとうていいいがたい女性。耳は聴こえないが、数年前から不動産会社セディムに勤めている。会社では、つまらない仕事をし、その上同僚からはいじめを受けている。体調を崩したため、助手として研修生を雇うことになる。刑務所から出たばかりのポール・アンジェリが、彼女のとるに足りない人生にかかわってくるのは、こうしたわけである。実務的な能力はなくとも、ポールには何かしら魅力があった。ポールはカルラを一人の女として見つめる。プラトニックだが深い恋愛感情が、二人の社会のはみ出し者の間に芽生えていく。

エマニュエル・ドゥヴォス(カルラ役)は、オフィスの生き地獄にいる。はじめは、彼女は両耳に補聴器をかくしつけた犠牲的なコピー係りとしか見えない。この女優の途方もない才能が(この役でセザール賞を受賞)、この作品を映画たらしめている。耳の不自由な秘書、不動産販売代理店の何でも屋の小間使い…。つづいて彼女は職業安定所で、まるでサンタクロースに婚約者が欲しいと頼むかのように、研修生の注文をつける。その彼は、油で汚れた髪の毛をして強烈な下町なまりのヴァンサン・カッセル(ポール役)。彼の存在もまたこの作品を映画たらしめている。欲求不満の女性従業員と粗野な男性研修生の物語。

この映画にはさらにまた別の見どころがある。犯罪映画であり、闇取引、悪人たちの溜り場、隠し金の話であること。脚本はやや錯綜しているが、監督のジャック・オディアールは彼の持ち味を失わないようにしている。性格のわかりにくい奇妙な女の肖像と、そのまったき変化である。彼女が自分をいじめた人々と同じ支配の本能にさいなまれながら、同じ残虐性を持つようになることを、観客は徐々に理解する。この点で、映画『リード・マイ・リップス』はいっぷう変わったフィルム・ノワールとなっている。

『サムライ』 Le Samouraï

第47回 奈良日仏協会シネクラブ例会の案内
47ème séance du ciné-club de l’Association Franco-Japonaise de Nara

◇日時 2018年6月24 日(日) 13:30~17:00
◇会場 奈良市西部公民館5階第4講座室
◇プログラム 『サムライ』(Le Samouraï、1967年、105分)
◇参加費  奈良日仏協会会員・学生:無料、一般:300円
◇飲み会  例会終了後「味楽座」にて
◇例会・飲み会とも予約不要
◇問い合わせ 浅井直子 Nasai206@gmail.com

(スタッフ)
監督・脚本 ジャン=ピエール・メルヴィル Jean-Pierre Melville
撮影監督  アンリ・ドカ Henri Decae
美 術  フランソワ・ド・ラモット François de Lamothe
編 集  モニーク・ボノ Monique Bonnot
音 楽  フランソワ・ド・ルーベ François de Roubaix

(キャスト)
ジェフ・コステロ アラン・ドロン Alain Delon
警視 フランソワ・ペリエ François Périer
ジャンヌ ナタリー・ドロン Nathalie Delon
ヴァレリー カティ・ロジェ Caty Rosier

 『パリの灯は遠く』、『仁義』に引き続くアラン・ドロン特集第三弾。『仁義』と同じメルヴィル監督作品です。冒頭、延々とセリフなしのシーンが続きます。初めてセリフが出てくるのが、殺し屋ジェフ・コステロ(アラン・ドロン)が恋人ジャンヌ(ナタリー・ドロン)にアリバイの依頼をする場面で、約10分後。フランス映画と言えば、言葉が洪水のように出てきたり(昨年シネクラブで見たサッシャ・ギトリはその最たるもの)、詩的な言葉が歌うように語られたり(『天井桟敷の人々』など)するものと思っていましたが、言葉の少なさに驚きます。解説の中条省平によれば、メルヴィル監督がアラン・ドロンに出演依頼した時、セリフが少ないのと、タイトルが気に入って受けたということです。
 この映画の魅力は、無駄な言葉を削ぎ落し、主人公の動きを見せるだけで物語を語っているところにあります。ジェフの立ち居振る舞い、顔の表情、眼の動きをひたすらカメラが追いかけます。プロの殺し屋にふさわしい簡素な居室、小鳥を唯一の友とし、女性に対してもクールな態度を崩しません。トレンチコートにソフトを被り、街路の左右に目を配りながら足早に歩く姿は、プロの殺し屋の一種の美学と言えましょう。
 フィルム・ノワールならではの魅力は、残酷非情な人間関係で、金銭でやり取りされる関係には裏切りが付きものです。もう一つは、サスペンス。車を盗む場面で、50以上あるキーのひとつひとつを順番に試して行くのをカメラは執拗に写し続けます。また殺人犯を目撃した人間が複数いて、その一人一人が主人公の首実検をしたり、アリバイを確かめるのに次々に証人が呼ばれ、そのたびにハラハラしてしまいます。
 また本筋から離れての見どころは、パリのメトロが追跡劇の舞台となっていることで、「シャトレ」や「ポルト・ディヴリ」など、駅構内の昔の様子が映し出されます。メトロ構内の雰囲気は今と変わっていませんが、もぎりのおばさんが居たりするところは面白い。

(ストーリー)
 ジェフ・コステロはプロの殺し屋。殺人依頼を受け、周到なアリバイ工作をしたうえで、ある高級クラブに潜り込み、経営者を殺す。だが、部屋を出るところをピアノ弾きの女に目撃されてしまった。警察が大がかりな布陣で疑わしい者を次々に検挙し、片っ端から尋問し目撃者による首実検にかけていくなか、ジェフもいったんは疑われるが、巧みなアリバイ工作が功を奏し、釈放される。ところが、ジェフが報酬を受け取るため依頼人の代理人との待合せ場所に行くと、逆に撃たれて腕に怪我を負う。そしてまた新たな殺人依頼が。一方、釈放したものの警視はジェフが犯人に違いないと睨んで、アリバイ工作を一つずつ潰しにかかるとともに、部屋に盗聴装置を仕掛け、向かいのホテルから部屋を見張らせ、そしてメトロの駅に何十人もの捜査官を配備しジェフを追跡、プロの殺し屋対警察の徹底した捜索の息詰まる戦いが展開していく。そしてジェフが新たな殺人に赴いた先は、意外な場所、意外な人物だった。

(映画裏話)
 メルヴィル監督は、前作『ギャング』を取り終えたときから、次作はアラン・ドロンで撮ることに決めていたそうで、アラン・ドロンもまた『ギャング』を見て、メルヴィルに出演させてもらえるよう願い出たということです。この『サムライ』は二人が一緒に仕事をした初めての作品で、この後、『仁義』、『リスボン特急』をアラン・ドロン主演で撮影しています。
この映画の冒頭で、『武士道』からの引用として、「サムライの孤独ほど深いものはない。さらに深い孤独があるとすれば、それはジャングルの虎のそれだけだ」という言葉が映されますが、こんな言葉は『武士道』にはないそうで、メルヴィル監督の創作ということです。
 共演のナタリー・ドロンは、アラン・ドロンと1964年に結婚し、映画出演は初めてだったと言いますが、この映画がきっかけとなって、次作『個人教授』でブレーク。しかし、女優業を続けたいナタリーと、それを嫌がるアランとの間の溝が深まり、二人は1969年離婚しています。
 二人が知り合ったきっかけは、アラン・ドロンのボディガードだったマルコヴィッチの紹介ということですが、彼はナタリーの愛人でもあったらしい。そのマルコヴィッチが1968年に殺され、アラン・ドロンは殺人容疑者として取り調べを受けています。が結局真犯人は見つからないまま迷宮入り。映画を地で行くような話ではありませんか。 (杉谷健治)

『仁義』 Le Cercle rouge  

「第46回 奈良日仏協会シネクラブ例会」の案内
46ème séance du ciné-club de l’Association Franco-Japonaise de Nara

◇日時 2018年2月25 日(日) 13:30~17:00
◇会場 奈良市西部公民館5階第4講座室
◇プログラム 『仁義』(Le Cercle rouge, 1970年, 140分)
◇参加 費 奈良日仏協会会員・学生:無料  一般:300円
◇飲み会 例会終了後「味楽座」にて
◇例会・飲み会とも予約不要
◇問い合わせ 浅井直子 Nasai206@gmail.com

スタッフ
監督 ジャン=ピエール・メルヴィル Jean-Pierre Melville
脚本 ジャン=ピエール・メルヴィル Jean-Pierre Melville
製作 ロベール・ドルフマン Robert Dorfmann
音楽 エリック・ドマルサン Éric Demarsan
撮影 アンリ・ドカエ Henri Decaë

キャスト
コレー   アラン・ドロン Alain Delon
ジャンセン   イヴ・モンタン Yves Montand
ヴォーゲル   ジャン・マリア・ヴォロンテ Gian Maria Volonté
マッテイ警部   ブールヴィル Bourvil
サンティ   フランソワ・ペリエ François Périer
リコ   アンドレ・エキナン André Ekyan

 前回の『パリの灯は遠く』の例会では参加者のみなさんが次から次と発言、「シネクラブ」の醍醐味を味わうことができました。自分でも自分の行動を説明できないような複雑な人間存在をアラン・ドロンが演じたことで、観る者はいっそう引きこまれたように思います。2月の例会では、俳優アラン・ドロンのまた異なる魅力を引き出しているジャン=ピエール・メルヴィルの監督作品をとりあげます。
 メルヴィルは昨年2017年生誕100周年を迎え、フランスでも日本でも特集上映会が開催されました。彼の作品にみなぎる独特の緊張感、画面構成、凝縮された台詞、人間の心の闇と愛に肉迫するドラマの演出等々には、尽きせぬ魅力があります。とくに『仁義』の絵画を思わせるような画面には、思わず息をのんで見入ってしまいます。ベースとなるブルーブラックの色調に黒が深みを加え、時折あらわれる明るい緑や白も印象的です。
 アラン・ドロンは『サムライ』『仁義』『リスボン特急』の三作のメルヴィル作品に出演し、メルヴィルの美学を確実に理解し体現しています。スター俳優であるにもかかわらず静かな抑制のきいた演技で、ブールヴィル、イヴ・モンタン、ヴォロンテら共演俳優たちの個性を光らせています。『仁義』はフランスで433万人以上の大ヒットを記録し、商業的にも芸術的にも成功をおさめたまぎれもない傑作です。

 映画の原題はLe Cercle rouge「赤い輪」。「人はそれと知らずに必ずめぐり会う。たとえ互いの身に何が起こり、どのような道をたどろうとも、必ず赤い輪のなかで結びあう」(ラーマ・クリシュナ)の言葉が、映画の冒頭で紹介されます。日本語で、恋人同士の運命的な出会いを「赤い糸で結ばれている」と言うことがありますが、この映画に登場するのは「いわくつきの男」ばかり、彼らの宿命的な出会いと行動の物語です。
 ヴォーゲル(ジャン・マリア・ヴォロンテ)は、列車護送中にマテイ警部(ブールヴィル)の監視をふりきって逃走、その途中で刑務所から出所したばかりのコレー(アラン・ドロン)の運転する車のトランクの中にしのびこみます。警察に追われるヴォーゲルをかくまうコレー、昔のヤクザ仲間から追われるコレーを助けるヴォーゲル、ふたりの間にクールな友情のようなものが生まれ、さらに元警察官のジャンセン(イヴ・モンタン)を仲間に加えて、彼ら3人はパリの宝石店の強盗を決行します。マテイ警部は彼らを捕まえるために、卑劣な策略をめぐらせて、ナイトクラブを営むサンティ(フランソワ・ペリエ)に情報提供させます。
 人物たちの間で交わされるのは説明抜きの短い言葉のみ、彼らの表情や仕草や行動によって話が展開していきます。「追われる者」と「追いつめる者」の闘いに加えて、人物間の駆け引き・共感・裏切りや、ひとりの人間としての決断など、随所で観る者に考えさせ、余韻が残る作品となっています。

『パリの灯は遠く』 Monsieur Klein

お知らせ
10月22日(日)に開催予定でした「第45回奈良日仏協会シネクラブ例会」は、
11月26日(日)に変更になりました。皆さまの参加をお待ちしております。

「第45回 奈良日仏協会シネクラブ例会」の案内
45ème séance du ciné-club de l’Association Franco-Japonaise de Nara

◇日時    2017年11月26 日(日) 13:30~17:00
◇会場    奈良市西部公民館5階第4講座室
◇プログラム 『パリの灯は遠く』(Monsieur Klein, 1976年, 122分)
◇参加 費 奈良日仏協会会員・学生:無料  一般:300円
◇飲み会 例会終了後「味楽座」にて
◇例会・飲み会とも予約不要
◇問 い合わせ 浅井直子 Nasai206@gmail.com

(スタッフ)

監督 ジョセフ・ロージー Joseph Losey

脚本 フランコ・ソリナス Franco Solinas

   フェルナンド・モランディ Fernando Morandi

撮影 ジェリー・フィッシャー Gerry Fisher

音楽 エジスト・マッキ Egisto Macchi

   ピエール・ポルト Pierre Porte

(キャスト)

ロベール・クライン     アラン・ドロン Alain Delon

フロランス             ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau

管理人                 シュザンヌ・フロン Suzanne Flon

ジャンニー             ジュリエット・ベルト Juliet Bert

ピエール               ミシェル・ロンズデール Michael Lonsdale

ニコル(ピエールの妻) フランシーヌ・ベルジェ Francine Berge

(ストーリー)

1942年1月、パリはドイツの占領下にあり、対独協力のヴィシー政府はユダヤ人排除の法律をつぎつぎと成立させていました。映画の冒頭、医師による非人道的な人種選別の場面に私たちは衝撃を受けます。多くのユダヤ人は国外へ逃れようとしていました。主人公のフランス人美術商ロベール・クライン(アラン・ドロン)は、贅沢で放縦な生活をしています。それというのも彼のもとへは、ユダヤ人たちが所蔵する美術品を換金するためつぎつぎと訪れ、彼は客の足元を見て安値で買い取り儲けているからです。

ある日彼は玄関に不審な刊行物が置かれているのを見つけます。それは購読を申し込んだ覚えのない「ユダヤ通信」という刊行物で、宛先は確かに彼でした。不安に襲われ調べてゆくと、彼と同姓同名のユダヤ人がいて、彼を身代わりにして自分は姿を消し、危難を免れようとしていることが分かってきます。彼の家には早くも刑事がやってきました。街にはユダヤ人の一斉検挙が近い動きが見られます。一刻も早く同名のユダヤ人を見つけて、自分の安全とアイデンティティを守らねばなりません。彼の必死の奔走が始まります…。

(ジョセフ・ロージー監督とこの作品について)

ジョセフ・ロージーはアメリカ・ウィスコンシン州生まれで、1943年にMGMと監督の契約を結びますが戦争のため中断、48年、はじめての長編で、反戦を訴えた『緑色の髪の少年』を発表しました。その後いくつかの作品を発表しますが、彼の左翼思想に対する非米活動委員会の追及を免れるため、51年イギリスに亡命しました。イギリスでも当初は本名での活動はできず、四つの偽名を使って作品を発表しています。57年から再び本名で作品を発表しましたが、この頃から彼の評価が、特にフランス、ヌーヴェルヴァーグの人たちの間で高まり、フランスで撮った「エヴァの匂い」(62)や、イギリスで撮ったハロルド・ピンター脚本の「召使」(63)で彼の評価が確立しました。その後拠点をフランスに移し、スターを用いた大作を発表してゆきます。アラン・ドロン主演の「暗殺者のメロディー」(72)がその第一作で、1940年のトロツキー暗殺事件を描いています。この「パリの灯は遠く」(76) はドロン主演第二作で、ドロンのキャラクターの一面をよく捉えています。理由が分からずに逮捕される銀行支配人フランツ・Kを描いたカフカの小説[『審判』(1915) を思わせるものがあり(主人公の頭文字が同じなのは偶然?)、ロージー監督の特色である不条理と暴力そしてサスペンスに溢れた、反ファシズム映画の傑作であると思います。

『夢を見ましょう』 Faisons un rêve

第44回 奈良日仏協会シネクラブ例会

44ème séance du ciné-club de l’Association Franco-Japonaise de Nara

★日時:2017年7月23日(日)13:30~17:00

★会場:奈良市西部公民館5階第4講座室

★プログラム:『夢を見ましょう』(1936年, 80 分)

★監督:サッシャ・ギトリ

★参加費:会員無料、一般300円

★飲み会:例会終了後「味楽座」にて ※例会・飲み会とも予約不要

★問合わせ:Nasai206@gmail.com  tel. 090-8538-2300

 

◆Date & horaire : le dimanche 25 juin 2017, de 13h30 à 17h00.

◆Lieu : Nara Seibu Kominkan, 5-kai (4ème étage) salle 4

(juste à côté de la gare Kintetsu Gakuenmae)

◆Programme : Faisons un rêve, 1936, 80 min.

◆Réalisateur : Sacha Guitry

◆Participation : gratuit pour membres et étudiants, 300 yens pour non-membres

◆Réunion amicale : au restaurant Miraku-za

◆Renseignements : Nasai206@gmail.com  tel. 090-8538-2300

サッシャ・ギトリは1936年、彼の若き妻ジャクリーヌ・ドリュバックの影響下、それまで信用していなかった映画に自分の場を見出した。やがて演劇と同様映画においても多くの作品を産み出すことになる。成功をおさめた作品4本『新たな遺言』『とらんぷ譚』『私の父は正しかった』『夢を見ましょう』は、すべて彼の戯曲からの翻案である。『夢を見ましょう』は、1916年に書かれた劇を移し替えた作品。『とらんぷ譚』が、ギトリにとって映画の手法のあらゆる語りや視覚の可能性をきわめる喜びを示した作品であるとするなら、『夢を見ましょう』はより演劇らしい演劇の影響に回帰している。基本的には、妻・愛人・夫の典型的な愛の三角関係の風俗喜劇で、映画は動きの少ない演出における言葉の達人ギトリの腕の見せ所となる。

(アルレッティ、ミッシェル・シモンの)有名人をキャストにした社交場のプロローグを経て、物語は夫婦のだまし合いの会話に集約される。まずは夫(レミュ)と妻(ドリュバック)の夫婦の会話のやりとりがある。夫婦は友人の弁護士(ギトリ)を訪ねてくるが彼は不在、そこでの夫婦の反応と会話は二重の意味を含み、夫と妻それぞれ目前に迫る、ないしは起こり得る浮気を、絶妙の言葉の応酬で観客に推測させる。レミュの陽気なあけすけさ、それに対するドリュバックの気の効いた揶揄は、効果抜群である。

カップルの関係はすべて支配の問題となり、より気まぐれな方が優位に立つ。思いのままに恋情に身をゆだねるときだけ、彼らの協力関係が発揮される。愛し合う者たちが、いっしょに迎えた朝の目覚めを邪魔され、最終的に官能的逸楽の熱い約束を賭けて再び勝負に出た時、潜んでいたイロニーは消えてロマンチックな空想となる。しまいには、映画全体にみなぎる活力、機知、魅惑は、観客をすっかりとりこにしてしまう。

(ピエール・シルヴェストリ)

En cette année 1936 et sous l’influence de sa jeune épouse Jacqueline Delubac, Sacha Guitry trouve enfin ses marques dans le cinéma pour lequel il se sera montré si méfiant auparavant. Il s’avérera aussi prolifique qu’au théâtre en signant quatre films comptant parmi ses plus grandes réussites, tous adaptés de ses pièces : Le Nouveau Testament, Le Roman d’un tricheur, Mon père avait raison et Faisons un rêve. Ce dernier transpose justement une pièce écrite en 1916. Si notamment Le Roman d’un tricheur avait témoigné pour Guitry d’une certaine jubilation à exploiter toutes les possibilités narratives et visuelles de l’outil cinématographique, Faisons un rêve revient à une influence plus typiquement théâtrale. Sur le papier on a un triangle amoureux de boulevard femme/amant/mari assez typique et le film est une célébration du verbe virtuose de Guitry à la mise en scène assez statique. Le plaisir est donc ailleurs dans cette réussite.

Passé un prologue mondain où l’on croisera du beau monde au casting (Arletty, Michel Simon…), le récit se resserre pour un brillant jeu de dupe sur le couple. Ce sera d’abord celui du couple légitime du mari (Raimu) et de la femme (Jacqueline Delubac). Venu rendre visite à leur ami avocat (Sacha Guitry) absent, l’époux et sa femme par leurs réactions et dialogues à double-sens laissent deviner leurs infidélités imminentes ou possibles dans un brillant échange. La bonhomie et la truculence de Raimu font merveille face à l’élégante malice de Jacqueline Delubac.

Toutes les relations de couple seront affaire de domination où le plus fantasque prendra l’avantage. L’harmonie des couples ne peut fonctionner que quand le danger est écarté et qu’ils peuvent s’adonner librement à leurs passions. D’un coup l’ironie latente se dissipe pour la fantaisie romantique quand les amants rejouent leur premier réveil commun manqué et le final endiablé promesse de volupté. L’énergie, l’esprit et le charme de l’ensemble finissent par séduire totalement le spectateur.

(Pierre Silvestri)

 

 

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